ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

はる

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桜が散ってすっかり新緑に姿を変えたここ数日、汗ばむ陽気が続いていて春物を通り越して夏物の服を引っ張り出している。とはいえ、夜はそれなりに肌寒いので難しい。必殺技の夏物onカーディガンを繰り出しまくっている。

新しいアルバイトにも少しずつ慣れて、雰囲気や身の振り方もなんとなく掴めてきた。それと同時に徐々にポンコツと愚鈍が露呈してきて、帰りの電車で頭を抱えることもあるけれど些細なことは引きずらなくなった。背筋を伸ばして頑張りたいし、出来ることならずっとここにいたいなあと思うくらい良い環境で、自分の選択が間違っていなかったことにもホッとしている。仕事に慣れると今度は対人関係が気になり出して、油断するとちょいちょいイヤ〜な人間性が出ちゃうので気を引き締なければ。いままで人間関係を極力サボってきたので、打ち解けることと馴れ馴れしさの違いや塩梅が分からない。こんなにも迎え入れてくれる環境が本当にありがたくて、私もこの先こんな風に誰かを迎え入れることができたならと思うくらいだ。「嫌われたくない」という感情が果たして良いものか悩ましいものだけれど、そう思ってしまうのだから仕方ない。うまくやれているのかなあ。

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大学4年生のときは週3の授業で、一年の半分以上おやすみという体たらくだったので週休2日の感覚が新鮮ですらある。あっという間に終わっていく。先々週のお休みはコンタクトレンズを作って浅草でお花見をして、次の日は友人とデイミアン・チャゼル監督『LA LA LAND』を観に行った。いままで必要なときだけ眼鏡を使っていたのだけれど、バイト中にもないと少し辛いのでこの際にと初コンタクトレンズ。折角なのでディファインタイプにした。もともと黒目は小さめだったので最初のうちは黒目が1.5倍くらいに大きくなってきもちわるく似合っているとも思えなかったのが、今では無いとちょっと抜けてる印象になってしまっておそろしい。ディファインのコンタクトを着けている自分に対する自意識もさっさとどこかへ行ってしまった。

『LA LA LAND』を観るのは実は2回目で、狂おしいほど好きでも憎らしいほど嫌いでもないという感想は変わらず、冒頭のミアと女の子たちのミュージカルシーンが一番好きです。ちょうど『ゴッドタン』マジ歌LIVEダイジェストでの劇団ひとり渾身のLA LA LANDパロディを観たばかりだったのも良いタイミング。ジャズもミュージカルも門外漢なもので菊地成孔によるキレキレの批評も面白く読んだのですが、同じRealSoundの連載で菊地さんが激賞していたパク・チャヌク監督『お嬢さん』を先月に観て、それはそれはもう面白くて忘れられない映画となりました。中盤での秀子とスッキのシーンのカタルシス、私にとってはあまちゃん紅白でアキとユイがNHKホールに並んだときに匹敵するくらい強烈で感動的で涙がこぼれた。生涯ベストに入るくらい好きな映画です。

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先週は横浜は長者町、ふぞろいの人妻たちのお向かいにある映画館シネマリンでエドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』デジタルリマスターを観た。フラストレーションや機微という言葉ではまったく太刀打ちできない4時間。手にしては消えていく光と深い闇を映しとったスクリーン以上に雄弁なものはなにもない。という感じで、観てよかったな。小明、登場シーンのポーズからすでに魅力があふれてて一瞬たりとも目が離せない。早く彼女がスクリーンに現れないかなと思いながら観ていた。

映画を観た後は伊勢佐木町、曙町、野毛を散策した。風俗街、コリアンタウン、呑み屋街がひしめくこの周辺の雑多な風景がとても好きで定期的に訪れたくなる。私にとってはほぼ異世界である風俗店やラブホテルのゴージャスな外観と看板が好きで好きでたまらないので、歩いているだけでテンションが上がる。『ドキュメント72時間』に登場した24時間営業のとんかつ屋さんの前も通りがかった。お給料が入ったら食べに来ようかな。大岡川の桜が満開で、川にたくさんの花びらが浮かんでいてとても綺麗だった。

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生きていくセンスがない

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4月、新生活とやらが私にもやってきた。どうせフリーターになるのだから足並みを揃えることもないのだけれど、区切りも良いので新しいアルバイトに行きはじめた。新しい環境に身を置く前はどうしても、全員嫌な人で劣悪な職場だったらどうしようと悪しき想像が膨らんでしまう。でも、最悪を想定してハードルを下げまくると、大抵はみんないい人に思えるので自分のちょっとしたライフハックみたいなものです。実際はそんなことをしなくても、びっくりするほど穏やかで優しい人しかいないような職場だった。穏やかかつ、人との距離感を綺麗に保つ人たちばかり。生まれてはじめてみた相手を「親」と思っていつまでもついてゆく動物のように、仕事を教えてくれている人たちに慕情のようなものすら芽生えている。緊張でふわふわとした気持ちが続いているし、ド新人のいまは付きっきりで動いているので余計に。このさき嫌いになることがあっても今のところは好き。これから戦力にしなくてはいけないのだから親切なのは当然といえば当然で、向こうは私個人には何の興味もないことは分かっていても、やっぱり私は誰かと関わっていたいんだと思った。

好きでも嫌いでもない環境では適当な気持ちでいられるけれど、少しでも好きだなあと思ってしまうとそれはそれで苦しい。頭ごなしに叱られるよりも、静かに失望されていくほうが辛いからだ。適当なことは絶対にできない。良い子だと思われたい。嫌われたくない。少しでも好かれていたい。昔から自分の失敗を誤魔化したり隠したりする悪癖があるので、そういうの全部捨てたい。自分の言動はどこかおかしいんじゃないかという不安感はいつまでたっても消えない。あと挨拶がへたくそ。コピー取るのへたくそ。他者への配慮が足りてない。

初日は流石に慣れないことだらけで頭がキンキンに痛くなって、えらく悲観的になった。交通費出るし、と思って深く考えずに受けたのだけれども通勤に片道約1時間半かかるのだ。バイトじゃひとり暮らしは無理だ。そんなに混んでいるわけではないので苦痛ではないが、初日のクタクタになった頭でずっと「なんで遠いところを選んだんだ」「バイトなんだからもっと通勤が楽なところを選べよ」「しかも契約更新限度があるし」「年を重ねるとどんどん仕事に就きにくくなっていくぞ」「どうするんだこの先」と過去の自分を睨む。応募した当時は多少の焦りもあり、この仕事しかないと思ったのかな。とにかくこのとき生きていくセンスがないと思った。2日目以降、少しずつ全貌が見えはじめて頭痛もなくなり、良いところに来れたかも知れないと思いはじめた。時給も悪くない。休みもちゃんと決まっている。通勤時間は本でも読もう。

私は何歳まで生きるんだろうか。仮に何事もなければ80歳と想定して、衣食住に不自由しないためにはどのくらいの貯金が必要なんだろうか。年金とか保険とかよくわかんないから聞いとかなくちゃ。いまはドラマや演劇や音楽、いわゆるポップカルチャー全般のために生きているような感じだけれど、私はいつまで感性を持っていられるんだろうか。映画や演劇を観にいくにも、年をとるにつれて体力と健康がものを言うだろうなと思いながら、身体はどんどん重たくなっていく。何かを面白いと思えなくなったとき、私は死ぬのか。私はどうゆう風に死んでいくんだろうか。誰かに看取られるのか、ひっそりと異臭を放って発見されるのか、野垂れ死ぬのか。老衰か病気か事故か他殺か。死んだあとのことは、弟に頼めばいいのかな。私がこれまでぬくぬくと育てられた家庭を築くのにどれだけの苦労と歳月がかかっているのだろうと気が遠くなるし、私に同じことができるとは到底思えない。生きていくのにはセンスがいるとつくづく思う。食べるものも着るものも喋ることにも働くことにも、常に何かを選ばなければいけない。その度に自分の要領の悪さを思い知る。センス良くありたいという無様な見栄が積もっていく。損はしたくないと思うけれど、賢い選択はできた試しがない。こうしておけば、どうしてあのときこうできなかったのか、と考えると泣きそうになる。損得勘定をはじめると、考えることをやめてしまう。

それでも反吐が出るほどに自分のことを愛している。

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トラベル・ブギ

2月の下旬から3月半ばまで、熊本・福岡への帰省旅行、草津旅行、免許合宿と予定の詰まった慌ただしい日々を過ごしていた。旅行の前日、2月21日はコンビニバイトと、もうひとつ行っていたアルバイトの両方の最終日で、いよいよ人生の節目と感じてしまうような日だった。日常に組み込まれていた部品をひとつひとつ外していく感覚。

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2月22日、福岡に暮らす祖母のもとへ母と帰省旅行へ出かけた。せっかく九州へ行くなら、と祖母を連れて熊本の阿蘇で一泊して福岡へ戻る算段だ。発泡スチロールを基礎にしたドーム型の宿がぽこぽこと立ち並ぶ阿蘇ファームランドに泊まった。平日ということもあり宿泊客は少なく大浴場もほぼ貸切状態で、小雨が降っていてそことなく寂寥感。工事中の箇所も多く、完成したらもっと賑やかになるんだろう。早起きと移動に疲れていて20時頃に眠りに落ちてから、何度か目を覚ましながらも朝までぐっすりと眠ったのがとても気持ちよかった。目が覚めてもう一度目を閉じるとすぐ眠れるときが一番きもちいい。翌日は福岡まで寄り道買い物をしながら帰路についた。道の駅で旅行中の金銭感覚じゃないとなかなか手が出せないソフトクリームことクレミアを食べる。リサイクルショップに入ると3人していつまでも物色しているのには、血かな、と思った。

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滞在中は買い物へ行ったり太宰府天満宮へ梅を見に行ったりと日常と旅行が混在したような感じ。母は昔ここで暮していたんだな、と思うと不思議な気持ちだ。私は生まれてからずっと埼玉に住んでいるけれど、この先自ら住む場所を選んで居を移すこともあるのだろうかとぼんやり考える。行こうと思えばどこで暮らすこともできるけれど、私はずっとここから動かないような気もする。

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帰りに乗った飛行機、発券したら窓際の席だったのでわくわくして席にいったらそこだけ窓がなくてすごく落胆してしまった。そんな〜ずっと寝てたけど。帰宅したら荷解きをしながら明日からの旅行の荷作りをした。

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2月27日、中学からの友人5人と1泊2日で草津旅行へ出かけた。上野駅で向かいのホームに白いジャンパーを着た人たちが「おかえりなさい」という横断幕を持って立っていて異様な光景だったので「誰が帰ってくるんだろう・・・」「教祖?」とか言ってたら寝台特急カシオペアがホームに入ってきた。行きの電車ではわいわいと色んなことを話して、きっと帰りの電車ではみんな眠るだろうとこのとき思って、やっぱりその通りになる。草津に着いてからは食べる、食べる、歩く、足湯、食べる、お風呂、飲む、食べる、喋る、寝るという感じのそんな夜でした。宿のお風呂は水とお湯の蛇口をひねりながら調節するタイプのシャワーで、私たち以外にお客もいなかったので「あっつい!つめたい!あっつい!」と絶叫しながら髪を洗ったの楽しかったな。

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翌日は洋食屋さんで昼食を食べて土産屋のじいさんの温泉まんじゅう攻撃をかわしながら西の河原温泉の露天風呂へ。抜けるような晴天で、ときおり吹き込む風の冷たさが心地いい。たらふく食べてお湯に浸かって、もう寝る準備万端と言わんばかりに帰りのバスと特急電車へ。起きていた友人と小声で身の上話なんかを交わしながら電車に揺られた。車窓の日が暮れて浦和、大宮あたりのビルを通り過ぎる頃にはセンチメンタルも最高潮のなか、途中でふたり降りて、上野駅であとふたりと別れたあと、喫茶店にでも寄ろうかなあと逡巡しながらヤマシロヤの店頭でシン・ゴジラの鎌田くんのガチャガチャを回して、混雑した日比谷線に乗った。草津は3℃と聞いて着込んできたジャージとストールは暑くて首元にじわりと汗をかく。友人たちと少しLINEでやりとりをして、アルバムの写真を保存した。草津旅行から帰ってきて免許合宿へ行くまでの間もアルバイトの面接を受けたり映画や演劇を観に行ったりとぎゅうぎゅうの毎日だった。

 

茨城の古河へ合宿で自動車免許を取りに行った。滞在したのは駅近くのビジネスホテルだったのでストレスもなく快適な2週間。実家を離れて暮らしたことがなかったのでホームシックになるんじゃなかろうかと心配していたのだけれど2日目の夜に自宅と飼い猫が夢に出てきて以降は意外と平気だった。中学・高校のときにずっと一緒に登下校をしていた友人とふたりで行ったので懐かしいというか、4年ほどのブランクが空いてもあの頃と同じ空気感で過ごせることがとても嬉しかった。まあ、先日の旅行で会ったばかりですけれども。友人が「カーブが~」と言ったのを聞き間違えて「さわべ?」と私が聞き返したときに、「関係なくなっちゃったよ!」と返してきて、友人のこと一生好きって思いました。彼女の頭の回転の早さとユーモアととてつもない優しさに永遠に憧れ続けている。

自動車教習は初日からいきなり「ハンドル操作が危ういので乗り越すかもしれません」と脅されてビビっていたけれどなんとか乗り越さずに済んで安心した。教習所内の課題をひとつひとつクリアしないといけない仮免試験の直前が一番つらくて、ceroの「summer soul」のMVを見ながらあらぴーみたいに格好良くドライブするんだ...と己を励ましていた。教官には事務的に必要事項を教えていくタイプと、雑談しながら緊張をほぐしてくれるタイプとがいて、色々な人と車に乗るということがそもそも面白かった。茶髪でショートカットの女性の教官が3人くらいいて、もれなく元ヤンっぽいのも印象的だったな。でも元ヤンの人ってみんな面倒見が良くて教え方もうまくてとても好きでした。あと、送迎バスではだいたいいつもTBSラジオが流れていたところも好感度が高い。古河も良いところでした。

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卒業検定の前日に一度帰宅して大学の卒業式に出席した。母に袴を着付けてもらって、ぴゃーっと行ってわーっとやってささーっと帰ってきた。式典自体は、隣に座った友人と「校歌ちゃんと歌えないよね」とえへらえへらしているうちに緊張感なく終わった。後期はほとんど授業もなくゼミもなかったので友人にも先生にもとても久しぶりに会った。本当はお世話になった先生と同級生にもっと言いたいことがあったような気もするけれど喋れば喋るほど上滑りする嘘のようにしか喋れないし、お別れの場としてあの喧騒はとても都合が良い。思い返せば高校のときもあっさりと帰ったし、そのときは友達と今後も会うだろうという確信があったけれど、大学の友達とはもう会う機会はないかもしれないなと思いながら、ばたばたと交わされる会話と写真に紛れて教室を抜けた。私はいままで本当に人に恵まれていて、いつも声をかけてくれる天使のような子がいたので学校でひとりぼっちになったことがない。一緒に授業を受けたりお昼を食べたり、学校でしか為し得ない関係の中で私と関わってくれたすべての人それぞれに、少しずつ「あなたのようになりたい」と思っている。この気持ちには、cero「街の報せ」の「愛しているよ」というラインの響きとフィーリングがふさわしいな。

卒業の余韻にも感傷にも浸る間もなく古河へ戻り、次の日には自動車学校を卒業した。まさかの雨降りでめちゃくちゃ緊張したけれどなんとか。友人とふたりして技能のあとに学科試験があると思い込んでいて、技能の結果発表のあとに「卒業式です」と言われて拍子抜けしてしまった。次の日に早速免許センターへ行き交付を受けた。鴻巣、下手したら古河より遠いし朝早いしこの時期に来たのが悪いけど人多いし死ぬほど時間かかるし「ばかかよ」って30回くらい思ったけれど無事に免許を手にすることができました。やったね。ドライブが好きだし夜の街や高速道路を自分で運転できたら良いなあと思っていたけれど、実際に運転してみると自分の下手くそ加減や常に人を殺めてしまうかもしれない危険性と共にあることが怖すぎてドライブなんて夢のまた夢のような気がしてきた。

古河ワンダー

3月の頭から約2週間、免許合宿のために茨城の古河に滞在していた。教習のスケジュールに余裕がある日は駅周辺を散策して気分転換に喫茶店に立ち寄ったりと、余所者として古河での生活を満喫した。

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古河駅東口からすぐのコーヒーパーラー・パルク。キュートな飾り窓と看板のフォントをみた瞬間に、必ず立ち寄らなければ!と使命感のようなものすら感じたルックス。教習が午前で終わった日に意気揚々と乗り込み、内装にさらに打ちのめされた。

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入るとすぐ目に入るのは水が循環している小さな池。割れたプラスチックを補強した水槽の中でジョボボボボボボボと音を立てて流れる水と、ときおり聞こえる鳥のさえずりのテープが最高の癒しを演出している。このチープさがもうたまらない。大きな風景画やランプ、コーヒー豆の入ったドアといった内装だけでも十分素敵な喫茶店だが、この池があるのとないのとでは大きな差が開いてしまうだろう。町の小さな喫茶店というと店主が最小限の人数で営んでいるところが多いような印象だが、3人ほどいるウェイトレスの年齢層は若く、大きな絵に合わせてか緑のチェックのベストの制服が可愛らしい。この町では憧れのアルバイトだったりして。メニューはコーヒー、紅茶、ソフトドリンクに加えてランチのハンバーグやスパゲッティ、サンドイッチとフードも充実。雑誌や新聞も揃っており、古河市民の憩いの場であることがうかがえる。

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お手洗いには造花があしらわれており大変ラグジュアリーであります。スイッチを付けてもなかなか個室の電気がつかなくて焦りました。

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後日もう一度訪れた際には店の一角で10人ほどの合唱団がキーボードを持ち込んで練習しており、主宰者の女性の「エネルギーを宇宙に」といった指導が聞こえてきてこれは良い時に来れたなと耳をそばだてておりました。まあ、耳をそばだてるまでもなく店内にはアンジェラ・アキ「手紙」の合唱と池の水音のマリアージュがこだましていて最高のヒーリング空間でした。良い喫茶店がある町は良い町だ。

パルクから5分ほど歩いたところにあるコーヒー舎・ブラジルも素敵な喫茶店。

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外観はシンプルながら赤に白の看板と青いフリルのような瓦が美しい。夜に前を通ると店内の灯りが良い雰囲気を醸し出している。

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仕切りが高くプライヴェート性が高いのも嬉しい。クッションが柔らかく深く沈むタイプの椅子なのでいつまでも長居してしまいそうな心地良さだ。

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揃いのカップとソーサーも可愛らしい。調度品にこだわりが見られる一方で、店内のショウケースにレタスが丸々突っ込んであるところも良い。

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お手洗いは扉をあけるとすぐに男性用の便器があり、そこを通って個室へ行く作りになっている。入り口に鍵がついているか確認し忘れてしまったが、知らずに開けると人がいなくても思わずギョッとしまう。かつてはよくある形式だったのだろうか。

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通りに面した入り口とは別にカウンターの向こうにも入り口があり、常連さんがやって来てカウンターで店主と世間話をはじめた。ここは夫婦が2人で切り盛りしているようだ。親戚の身の上話や町の開発話なんかが聞こえてくる。ちなみに店のエアコンは故障中らしい。

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古河駅周辺はコンビニやスーパー、書店、CDショップ、居酒屋は揃っているものの、決して娯楽のある雰囲気ではない。自動車学校の教官も「古河、なーんにもないんだよね」と言うほどで、休日でも歩いている人は極めて少ない。しかし、東口を出てすぐ左にいくと、歓楽ビルがあらわれる。

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すべて閉店しているかと思いきや、夜になると和風パブ・越後屋の看板が煌々と灯っているのが見えた。残念ながらセクシーパブ・スーパーギャルズは営業してない模様。

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もう少し歩くとスナック街もあり、昼からカラオケの音が聞こえてきた。駅から看板が見えたパチンコ屋に近付くと閉まっていたが、すぐ隣にマッサージ屋の看板が出ており、町としての機能は衰えていないことを実感した。

西口は少し歩くと歴史博物館や美術館といった文化施設があり、また雰囲気が異なる。お店は少なく、昔からの佇まいを残しているものの営業している様子はなくガランとしてもいる。

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大きな通りを5分ほど歩くと県道に突き当たるのだが、そこで異様な店に辿りついた。

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交差点の一角に突如あらわれるアンティークショップ。ブリキのおもちゃ、蓄音機、木箱、扇風機、スーツ、こけしetc…アンティークというよりも骨董品、ガラクタといった風情の節操のない品揃えに唆られるではないか。雑然と商品がひしめく店頭は入り口がどこか分からず、電気も付いていない。営業していないのだろうかと思いつつ写真を撮り、ふと振り向くと道路を挟んで向かいにも店がある。

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ジョイパティオというインドカレー屋やパブの入った複合施設にも同じアンティーク屋が入っているようで、店頭にはペコちゃんのプリントされたジャンパーが飾られている。店名はマミーコンチネンタルというらしい。横断歩道を渡りお店に近付こうとしたところで、店主らしき初老の男性に「古河へようこそ!」と声をかけられた。お店を窺っているのを向かいから見ていたのか、待ち構えていたようだ。「いつ来たの?いつまでいるの?」と余所者であることを見抜かれていることに驚いてしまったが、もしかしたら地元の人たちは近付かない場所なのかもしれない。もしくは免許合宿生が何人か訪れているか。

呆気に取られていると、「ここはね、大事なことを教えるお店なの。100円から色々売ってるけど、買わなくてもいい。」「友達にも教えてあげて欲しいくらいなの。」「本当は15歳くらいで知らなきゃいけないことなんだけど、ま、年齢は聞かないけどさ。ハハハハ」と矢継ぎ早に話しかけられた。いかにも怪しい文言が並んでいるが、店主はいかにも怪しい外見というわけではなく身綺麗な人物だった。また、まくしたてはするものの「この辺りを回って見たらまたおいで」と無理にその場で引っ張ろうとしないところが余計におそろしいではないか。店頭に並ぶ骨董品には興味深々だったしお店に入りたい気持ちもあったのだけれども、突然話しかけられたことにびっくりしてそそくさとその場を後にした。「ネットで調べてみて。」と言われたので店名で検索してみたものの情報はほとんど出てこず、「大事なこと」がどういうことなのかも分からない。有名なB級・珍スポットという訳でも無さそうであるし、だとしたら未開拓のスポット見つけてしまったのではないかという得も言われぬ高揚感もあり、その後もこの店のことが気になって気になって仕方なかった。再訪しようかとも思ったのだけれども「大事なこと」と「15歳くらい」という言葉が引っかかって結局行かず仕舞いだ。こういった場所にいるのは純粋な狂気をもった人物であるか、作為のある人物であるかを見抜くのがとても難しく、乗り込むにも勇気がいる。案外、ただの骨董屋かも知れないし。こういうとき、大胆さと機敏さがあれば私の人生もっと刺激的なんじゃないか。再訪しなかった私の勘が正しかったのか間違っていたのかは確かめようもないが、今となっては夢を見ていたのではないだろうかと思うほどに古河での体験として強烈に残っている。

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2月まんなか

16日木曜日

二子玉川ライズ内の中華料理店梅蘭であんかけ焼そばを食べた。焼き固めた麺の上に餡がのっているのが通常のあんかけ焼そばですが、ここのは反対で餡を覆うように焼そばがのっている。そのヴィジュアルと麺の焼き目が時間とともにふにゃふにゃにならない利点に心を惹かれた。味はまあ、普通のあんかけ焼そばですね。はじめて見たんですけど、別に珍しいものでもないのでしょうか。

二子玉川ライズのエレベーターから見えた白くて格好いいマンションがとても気になって「二子玉川 マンション 白」で検索したら直ぐに出てきた。瀬田ファースト。高級賃貸でした。

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シアタートラムにて倉持裕作・演出『お勢登場』を観劇。江戸川乱歩の8つの短編を、妖婦・お勢(黒木華)によって繋ぎコラージュした作品。『お勢登場』というタイトルに相応しいお勢の登場シーンには息を呑んだ。片桐はいりの「お勢の話をしようかね」という台詞をきっかけにタイトルの書かれた幕が降り、それを引きおろすと着物姿で妖しい笑みをたたえた黒木華が姿を現わす。個人的にはここがピークだったかもしれないという気待ちもありつつ、黒木華の美しさ可愛いらしさと息苦しい乱歩の世界を楽しみました。木馬館の娘のときのおかっぱ姿とほっぺたプクーからのあっかんべー、可愛すぎるファム・ファタルでありました。あと川口覚の演じる明智、発話や仕草に窪塚洋介を感じる。

書生との逢瀬の帰りであろうお勢が着物のおはしょりや裾をさりげなく直す仕草から、映画『小さいおうち』で時子(松たか子)が行きと帰りで着物の帯の柄を結び間違えているシーンをなんとなく思い出していた。この映画には女中役で黒木華も出演していたのでそこからの連想だろうと思っていたのだけれども、一緒に見に行った母が帰りにふと「黒木華の、表情や台詞以外の部分で何かを語る雰囲気の醸し方や演技が松たか子と共通している気がする」というようなことを話したので私の連想もあながち間違いではなかったのかもしれないな、と思った。

 

17日金曜日

もうすぐ春ですね!!!!!みたいなテンションで吹き荒れる春一番と共に悲報が舞い込んできた。

 『クイズ☆スター名鑑』放送終了。1月22日のスペシャル放送以降音沙汰がなく、毎週番組表をチェックしても放送がないのでおやおや…と思ってはいたけれど、こんなにもあっさり終わってしまうとは。視聴率に関しては承知の上で日曜19時にブチ込んだのだと思うのだけど、そう簡単ではないということなのだろうか。半年も経たないうちに終わってしまうのはさみしいな。『水曜日のダウンタウン』の更なる充実と特番に期待しよう。

テレビに関する悲しい報せにしんみりしていたら、嬉しいというかまさかの報せも飛び込んできた。エレ片がフジテレビ『ENGEIグランドスラム』に出演!最初に目にしたときは純粋にびっくりして、そのあとに、大丈夫か?どのネタやるんだ?お茶の間にどんなリアクションされるんだ?大丈夫か?というエレ片リスナー特有の不安に捉われる。ネタ番組エレ片、楽しみすぎます。

 

18日土曜日

目黒シネマで大根仁監督『SCOOP!』を観賞。いきなりのカーセックスから東京の夜景の空撮、花火を打ち上げて激写からのカーチェイス、トンネル内で暴発する花火、怒涛のパパラッチと次から次へと繰り出される映像に興奮しきりの前半がとにかく最高でした。静と野火のバディ感にもまんまとときめいてしまう。これまでのトーンから急転したやたらと綺麗な福山雅治二階堂ふみの濡れ場には笑っちゃいましたけれども(何かのオマージュなのかな)、東京の夜景とかドギツいネオンとか見たいものを格好良く見せてくれるなという印象で大変面白かったです。あとハイバイの平原テツさんが短い出番ながらもやっぱり印象に残る。なんだろうな、声かな。クレジットだと平原で、劇中ではテツと呼ばれてるように聞こえたので役名もそのまま平原テツだったもよう。

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目黒シネマから徒歩0分のBLUES ALLEY JAPANにて浜崎容子ソロライブ「容子の部屋」へ。先ほど『SCOOP!』で摂取した猥雑で粗野な気分が一瞬で浄化されてゆくよこたんの煌めき。

 

19日日曜日

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東京芸術劇場シアターウエストにてコドモ発射プロジェクト『なむはむだはむ』を観劇。子どもの考えたお話が岩井秀人の声と演技、森山未來の身体、前野健太の歌によって体現されるのを目の当たりにしながら、「私はいま途方もなく面白いものを見ている」という興奮でいっぱいになった。

冒頭の3人が代わる代わる喋っては倒れていくシーンがとても面白くて、森山未来出演のフジファブリック『夜明けのBEAT』MVを思い出した。歩きながら転ぶ動きがめっちゃくちゃ格好良いやつ。人間の身体の動きって面白いですよね。森山未来のようにしなやかに自分の身体を自在に操れたらどんなに楽しいだろう、と憧れる。

 

21日火曜日

『カルテット』第5話。ヒリヒリとした感覚が続く1時間。巻さんと夫さんは、それぞれが違う出発点から歩き始めて、いま互いが相手の出発点に到達した輪を描くようなすれ違い方をしているのだなと思った。ドーナッツのように。視聴者である私がミステリアスな巻さんが本当は普通の人だったことをどこか嬉しく感じていることと、夫さんが次第に退屈していったこともキューッと反転している。

君のオススメに面白いものはひとつもなかった

映画のシーンにはこの「愛してる.com」の歌詞を思い出し、夫さんが一瞬グラついた元カノ?に大森靖子を起用したのにも頷ける。ペットの名前がギロチンて。で、で、で、衝撃〜のラスト。まさか。まじか。そういえば宮藤さんは『結びの庭』でも妻のために人を殺してしまってたな。 カルテットの4人のシーンがもっと保たれることを期待しつつ、来週からも見守ります。みぞみぞ。あ、夫さん可愛いTシャツ着てましたね。Dancing Tama

コンビニエンス24時間

約6年間アルバイトをしたコンビニを辞めた。17時から4時間の夕勤を週2回。時給は地域の最低賃金。すべての店舗がそうとは限らないであろうが、主婦が多く勤続年数の長い昼勤と比較すると学生が主となる夕勤は入れ替わりが激しい。進学や就職を機に辞めていく学生が多いなかで、6年という勤続年数はまあ短くもなければそこまで長くもないかな、という感じだろうか。ちなみに私は就職活動に失敗しており4月からは何も決まっていない身なのだが、大学卒業を節目に辞めることにした。家から近いというだけで選んだコンビニで、バイト先の人と特別仲が良かったわけでも思い入れがあるわけでもないけれど、それなりに感慨や一抹の淋しさのようなものがある。これから書くのは、特にオチのない思い出話です。

私がバイトを始めたのは2011年の3月。面接に受かった数日後に東日本大震災が起こった。物流の混乱は埼玉県にも及び、研修期間にはパンや弁当の類は全く並んでおらず、計画停電があるので出勤して一時間で帰宅したこともあった。3.11に関して真っ先に思い出されるのはあのガランとしたコンビニの風景で、「震災」という大きな言葉の中にはこのような小さな風景もたくさん含まれているんだと思う。そして、この先バイトのことを思い出すときには3.11のことも一緒に思い出し続けるんだろう。近くの工事現場で働いているであろう作業服姿の男性が両手いっぱいの小銭を募金箱に入れていったことも覚えている。

なんだか大変なタイミングで始まったはじめての接客アルバイトだったが、半年ほど過ぎた頃にはちんぷんかんぷんだった煙草の銘柄も把握して、レジ横のホットスナックも上手に袋に入れられるようになって、少しずつ余裕が出てきた。ここ1、2年の間にコンビニ業界も進化して、コーヒーやドーナツが導入された。冬場はおでんや中華まんの什器が加わって、レジ周りがどんどん狭くなっていく。(おでん70円セール期間は、特別手当でも貰わないと割に合わないぜと思うくらい忙しくなるときがある。)小銭を握りしめてスピーディーに煙草やスポーツ新聞を買い求める人に最初は戸惑ったものだが、今ではそんなのお手の物だ。たまにいる妙に高圧的で横柄な態度の客にも、顔では笑ってへりくだりながら心の中で「バーカ」と言えるくらい接客も上手になったと思う。でも始めてすぐの頃、年齢確認をしたら身分証を持っていなかったヤンキーの男女に「ブス!」「おかっぱ!」と言われたことは未だに根に持っている。お客さんと短い雑談を交わすこともたまにある。その中に店長とも顔見知りで他の店員さんともよく喋るおじさんがひとりいて、私が髪を編み込み風にまとめていたときに「かわ…似合うな」と話しかけられたことが妙に記憶に残っている。うぬぼれの聞き違いでなければ、「可愛い」と言いかけて訂正したところにそのおじさんの自意識みたいなものが見えて、そうか、となんだかこう、言い得ぬ気持ちになったのだった。おじさんは3年ほど前に引っ越して、お店には来なくなった。

人の往来が多い駅前と比べて、住宅街の近くにあるコンビニなので、毎週のように来て同じものを買っていく常連のお客さんがほとんどだった。スーパーやファミレスと比べるとおそらく、コンビニの客層は幅が広くて色んな人が来る。万引き常習犯で出禁になった人もいる。6年勤めていると、見かけなくなった人や、制服からスーツに変わっていった人もいる。お年寄りの利用者も多いから、そういえば最近あのおじいちゃんおばあちゃん来ないな、と思うと、そういうことかもな、とぼんやり考える。引っ越したとか、もっと近くにできたコンビニに行くようになったのかも知れないけれど。夕方の間に最低2回はお酒を買ってゴミ箱の前で飲み干していく明らかにアル中のおじさんとか、スーパーのレジ袋をお財布にしている人とか、深夜にはスカートを穿いて来店するらしいアイラインを引いた男性とか、いつも同じお弁当とパックのジュース買っていく何人かの人たちとか、僕の買う銘柄覚えてます?みたいな間で煙草を注文する男性とか、この先もなんとなく覚えているんじゃないかと思う。店員に覚えられると居心地や気味が悪いかと思うのですが、別に個人に介入したりなんてことは絶対にないので、ちょっとだけ覚えていることをゆるして欲しい。あなたが誰だか知らないし知るつもりもないけれど、あなたのことは少しだけ知っていたい。

こんな風に、店員という立場で誰かの生活にうっすらと関わって組み込まれているのだと思うと、コンビニのバイトも悪くないなと最近になって思う。私は他人への興味は強いくせに積極的に人と関わっていくことがあまり得意ではないので、買い物にくる人をレジの中から眺めていられるコンビニが好きだった。色んな人の生活のほんの一部分が溢れかえっているこの場所が。これは岸政彦『断片的なものの社会学』やNHKドキュメント72時間』をきっかけに得た考えと視点で、価値観が大きく広がった。コンビニって断片的だ。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

ときに、物語のなかにおいてコンビニバイトはネガティブなものとして扱われている印象が強い。佐藤多佳子の小説『明るい夜に出かけて』の大学を休学中の主人公、映画『百円の恋』の家を飛び出した一子(安藤サクラ)、映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』の次の派遣先が決まらなかった七海(黒木華)、ドラマ『しあわせの記憶』の就活に失敗した冬花(二階堂ふみ)、ドラマ『おやじの背中 よろしくな。息子』の会社を辞めた祐介(東出昌大)…とぱっと思いつくものを挙げてみても、コンビニでバイトしているのはみな一様に人生につまずいた人々である。私自身も当事者みたいなものだ。オーナーや正社員でもない限り、ずっと続けていく仕事ではないのだろう。飲食や専門店と比べて知識や技術が必要のない仕事なので採用率も高いのだろうし、バイトといえば取り敢えずコンビニということなのだとも思う。1人に対する接客時間も短く店員の質やスキルはさほど重視されないため、活気のなさが演出できることも大きな理由のひとつだろう。実際、私のバイト先にもかつて年齢その他詳細不詳の夜勤が2人ほどいて、客にも色んな人がいれば店員にも色んな人がいるのがコンビニの特徴だ。もちろんネガティヴなだけでなく、コンビニは物語において出会いをもたらす場でもある。例えば、バナナマンおぎやはぎのワンシチュエーションコント『epoch TV square』では日村さんがマンション下のコンビニに勤める立花ちゃんに思いを寄せる。また、忘れてはいけないのは21世紀最大のラブソング菊地成孔feat.岩澤瞳『普通の恋』だろう。自傷癖の男とチョコレート依存者の女が出会ったのはお洒落な場所じゃなかった。

 


futsu no koi

 

コンビニを題材にした作品といえば、2016年に芥川賞を受賞した村田沙耶香コンビニ人間』。コンビニでバイトしながら執筆活動を続ける村田さん自身とも相まって、凄まじくアナーキーでとても優しい傑作だと思う。

コンビニ人間

コンビニ人間

 

コンビニに従事する、という一見社会に参画し迎合していくような行為がこの物語の中では逆説的に機能する。36歳の独身女性がずっとコンビニでアルバイトをしている、というのは「世間一般」では異常なこととみなされ、よっぽどの事情がなければ理解されない。就職、結婚、出産という社会規範のレールから逸れた人間は「普通ではない」というレッテルを貼られてしまうのだ。「どうして(◯◯しないの)?」という悪気のない問いかけは、少しずつ私たちの世界を窮屈にしていく。かくいう私も知らず知らずのうちに「社会規範」や「普通」という見えないルールに加担しながら生活し、ときに誰かを排斥してしまっているかも知れない。『コンビニ人間』は「正常な部品」としてコンビニで働くことに生きる術を見出した恵子という限りなく純粋で透明なキャラクターを通して、この世界の「普通」や「常識」という実体のない呪縛を浮き彫りにし、そこから逸脱することを描いている。彼女がコンビニ人間であることをとやかく言う権利など、誰も持ってはいないのだ。

なぜコンビニエンスストアが物語の舞台として機能するのだろうかと考えると、非常に現代的な空間だからではないだろうか。24時間、煌々と明かりを放ちながら日本全国に存在するコンビニエンスストア。都内では同じチェーンが数軒先に並んでいる光景がざらにある。潰れていくコンビニも多いが、ほとんどは後に居抜きで違う店が入り、異様に「元コンビニ」の存在感を放ち続ける。慣れない旅先でコンビニの明かりを見つけるとほっとして、用もないのに立ち寄りたくなってしまうこともある。弁当、惣菜、パン、野菜、ストッキング、ATM、カップ麺、ケーキ、シャンプー、文房具、雑誌、アイス、itunesカード、洗剤、手袋、猫のエサ、コーヒー、靴下、肉まん、ドーナツ、酒、煙草、コピー機、電池、充電器、お米、お砂糖、味噌、醤油、駄菓子にワックス、制汗剤、ご祝儀袋その他もろもろが小さな空間にひしめきあっている。嗜好品も生活必需品も少しずつなんでも売っている。食料品を買うならスーパー、食事をするならファミレスやファストフード、服を買うならアパレルショップ、薬や日用品ならドラッグストア、本ならブックストアとそれぞれの役割を持つチェーン点は無数にあり、コンビニはまずそれらの代替としての機能する。今やその機能を超えて、コンビニはコンビニとして独自の存在となっているように思う。『コンビニ人間』の恵子がコンビニの部品なら、コンビニは社会生活の部品といえるかもしれない。なんでもあるその空間はどんな人間も受け入れる隙間のような場所だ。それは寛容かも知れないし空虚かもしれない。

最後の出勤はいつもと何ら変わらずに終わっていった。6年といえど、たかがバイトの最終日なんてこんなものかと呆気にとられたような気待ちだ。でもそれもコンビニっぽいかな。毎週の出勤と業務がルーティンワークのように身体に染み込んでいて、来週もまたいつものようにアルバイトに行くような気さえしている。曖昧で希薄な思い入れが、蛍光灯の下に漂っているようだ。


モーニング娘。 『ザ☆ピース!』 (MV)

 

記憶の選別

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3年前から手書きの日記を付けている。ラーメンズ小林賢太郎の演劇公演『振り子とチーズケーキ』の内容にちなんだグッズの日記帳が可愛くて欲しくなり、買ったからには使おうと書き始めたのがきっかけだった。その分厚い日記帳を2年使った後は、羽海野チカ3月のライオン』の付録、今年はヒグチユウコ『ギュスターブくん』の付録を愛用している。

日記にはその日にしたこと、見たもの、食べたものなどや簡単な感想を淡々と記録して、考えごとなどのエモーショナルなことは極力書かないようにしてみると、これまで三日坊主に終わってきた日記が続けられることに気がついた。そのうちに、記憶しておきたいことを日記に託すようになった。覚えておきたいことだけを記録し、覚えておきたくないことは意識的に書かないでいると、自然と忘れられるようになったのだ。それでも自分自身の脳みそを騙すことは難しく、たまに地獄の釜が開いてしまうこともあるが、毎日のように自分の失態やヘマ、コミュニケーションの失敗に苛まれていた頃に比べるとずっとましになったように感じる。覚えておきたいことほど忘れて、忘れたいことばかり覚えている出来損ないの脳みそを補完する、外付けHDDのようなものだろうか。

どんなに些細なことでも、一度囚われてしまうと延々と記憶や胸のうちでジクジクと醜く熟れてしまう。それを言葉や文章として吐き出して解放する、というメソッドの方が効くこともある。私の場合は嫌なことがあると頭の中でiPhoneないしはパソコンのキーボードを叩き、架空のブログにそのときの思考と罵詈雑言を打ち込む、というイメージを繰り返して気付けばすっきりとしていることが多い。イメージだけで完結し、形に「残さない」ということが私には向いているようだ。日記やブログに書きたくなることもあるのだが、書いてしまうと「書いた」ということも含めてより強固に記憶されてしまうような気がする。

私は思い出に浸るのが大好きな人間なので、暇があると自分の手帳、日記、ブログを読み返している。やはり忘れていることも多く、自分の日記が一番面白い読み物のように感じられることもある。そういうときは決まって心身が疲れているときなのだけれども。

突然思い立ってこんなことを書いたのも、今日は少しずつ嫌なこと自分に腹が立つことがあって漠然と死にたい気持ちに支配されたからだった。詳しく書いたら読み返すたびに思い出すことになる。つまらないことは、選別してなかったことにしてしまえばいい。