ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

灼けつく東雲

f:id:Vanity73:20180425225559j:image4月からシフトが少し変わって、これまで無縁だった通勤ラッシュの電車に乗るようになった。朝は覚悟していたが、夕方もこんなに混んでいるのかと驚いてしまう。みんな意外と定時であがって帰っているんだなあ、と世間知らずに思う。相変わらず片道1時間半かけて通勤しているが、私より前から乗っていて、私よりもずっと先で降りる人たちはどこからどこまで行くんだろう。もっと便利でよい暮らしを、と思っているうちに毎日はどんどん終わっていくんだろうな。どうしてここにいるのか、この先どうなっていくのか、考えても仕方がないと思いつつ、どうしても考えてしまうときはいつも細野晴臣の「恋は桃色」を口ずさむ。

ここがどこなのか どうでもいいことさ

どうやって来たのか 忘れられるかな

たまもの (ちくま文庫)

たまもの (ちくま文庫)

 

先月に冨永昌敬監督の映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』を観てから、末井昭が気になって原作やエッセイ『自殺』を読んだ。読めば読むほどにわからなくなる底なし沼のような人だ。映画での柄本佑の恐ろしくなるほど空虚な瞳と乾いた笑い声も素晴らしく、末井さんの正体が見えない感じを見事に体現していた。あわせて現在の妻である写真家・神蔵美子の『たまもの』を読む。坪内祐三末井昭との不思議な関係や自身の創作活動の中での悩みや苦しみがそのまま綴られていて、私のはずっと卑近だけれどもいまの自分の苦しさと通ずるものがあってなんだか心強かった。神蔵さんの正直さと真摯さにとても救われている。末井さんと神蔵さんは聖書を生活の指針にしているとあって、私も聖書を読み始めたところだったので妙な引き合わせを感じる。あまり関係のない事柄が、私の中で巡り合わせのように接続することが多々あって、そっと導かれているのだと思う。信仰というとなんだか仰々しくて身構えてしまうが、このふたりの聖書との距離感も自分と近いような気がして、これでよいのだ、と正解に巡り会えたような気がした。

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

12日は恵比寿リキッドルームceroが主催するキセルとの2マンライブ Contemporary Tokyo Cruise -POLY LIFE-へ。ceroはセットリストの殆どが5月に発売されるアルバムからの新曲で、以前から披露している曲の仕上がり具合と、はじめて聞く曲の得体の知れなさに興奮しきり。とんでもない拍子に美しい詞、聞いたことのない見たことのない景色だ。アンコールの照明が新しいアー写と同じ緑と赤でとても格好良かった。しかし新曲たちを聞けば聞くほど全貌がわからなくなるアルバム、一体どんなことになっているんだ。
13日、シアターコクーンにて『ヘッダ・ガブラー』を観劇。華と実力を備えたキャストを堪能する。死ぬほど退屈なヘッダ・ガブラー、可哀想なヘッダ。手に入るものは要らなくて、気付いたときにはすべて失っている。魔性は最終的に自分を滅ぼしてしまうのだ。枯渇するヘッダ・ガブラーを気高く、抑制の効いた熱量で演じる寺島しのぶがとても良かった。観劇後、ロロの世界展を展開していた奥渋谷のSPBSへ。三浦さんの選書から太宰治の『女生徒』を購入した。ロロの戯曲や講演記録も本になったら読みたい。三浦さんの文章をもっとたくさん紙媒体で読んでみたい。

14日、本多劇場にてナイロン100℃ 『百年の秘密』を観劇。ナイロンは脚本も演出も演技もあまりに水準が高くて当然のように楽しんでいるけれど、このクオリティは稀有で奇跡の賜物であることを折に触れて思う。とても壮大だけれど、ひとつひとつのシーンはとても些細で、その小ささが愛おしい。みのすけさん演じるチャドが好きで、彼にも描かれていない沢山の時間があって、人生があることを想像する。だからこそ最後にチャドが担った役割は、彼にとっての幸福だったんじゃないかと思いたい。彼らの一生を俯瞰しながら想像を巡らせると、自分の知らないところに幸せが存在しているのかもしれないと思う。

f:id:Vanity73:20180425225317j:image週末に予定が詰まっているときに限って風邪をひいた。喉の痛みや鼻水も怠いのだが、週末まで悪化させるわけにはいかないという妙なプレッシャーを自分でかけて疲れてしまった。20日はシアタートラムへ城山羊の会『自己紹介読本』を観に行く。よりにもよって小声で話すお芝居に、咳が止まらなくなったらどうしようとドキドキしていたのだけれどなんとか乗り切った。城山羊の会、観れば観るほどに好きになる。見てはいけないものを覗いてしまった居心地の悪さと、気まずく狂った状況を俯瞰してニヤつく意地の悪さがたまらない。岡部たかしさん、本当に芸達者で魅力的だ。

帰宅後、従姉妹の結婚式のため盛岡へ車で向かう。大好きな夜中のサービスエリアに一度も降りられないほど眠り続けた。市内はどこへ行っても見知ったショッピングモールとファミリーレストランとコンビニが並んでいて、自分の住む街と大差ないのになにかが違って見える。違って見えるのにすべてが同じに見える。次の日は出勤なので新幹線で帰る。少しずつ山が減って、ビルの窓が増えていく。パラレルワールドのようで、車窓ごとにそこで暮らす自分を想像してみる。最近、映画『百万円と苦虫女』みたいに色んな土地を転々とする妄想をよくしていて、最終的には熱海の温泉まんじゅう屋さんかロープウェイで働きながら暮らしたい。

季節外れの陽射しと気温の日曜日は、夏の始まりというよりも晩夏のような雰囲気だった。暑さも盛りをすぎて、冷たい風が吹きはじめたような気候のようで、季節がどんどんスキップしていく。この日は年末ぶりに友人たちと集まってご飯を食べた。中学生の頃からもう10年の付き合いになる。昔からずっと変わらないトーンでくだらない話から仕事や生活のあれこれまで話していると、なにもかも大丈夫な気がしてくる。どうやって仲良くなったのかもう覚えていないけれど、当たり前のように続く関係が尊い

f:id:Vanity73:20180425230330j:image色んなことがぜんぜん上手にできない。昔から、なんとなくの身の丈で失敗しなさそうなところを選んで、できるフリをしてきたけれど、そうしているうちに本当になにもできなくなってしまった。頑張る、とか、努力とか、そういうのもぜんぜん分からない。誰かのために何かをする、というのが昔からできなくて、自分の行動が妨げになってしまうことが怖い。そうすると、なにもせずにいることが私にできる最善、という結論に至る。本当に覚悟のある人は、そういう部分も引き受けてケアしていくのだろうけど、あまりにも難しい。愛とかそんなフリしてるけど、エゴはぜんぜん消せなくて、がんじがらめだ。私の言動でいちいち寂しくなったりなんてしないだろう。わたしには必要だけど、そう言ったところで、差し出されたって要らないものはあるだろう。なんとか自分のメリットをプレゼンしたいけれど、最初からそんなのないからぜんぜんできない。

途方もない

途方もない孤独。目の前の孤独。

自分がこれまで戯れてきた生易しい寂しさや悲しさとは比べものにならないほどの、圧倒的な孤独が目の前にある。

人が抱える恐怖や不安、苦しみは想像しても想像してもわかることはできない。むしろ想像しようとすればするほど、簡単に触れようとしてはいけないものだと実感する。

それでも考える。いま孤独を目の当たりにしている巡り合わせについて。

その孤独を思って涙を流す間だけでも、その人から恐怖や苦しみが消える仕組みはないだろうか。自分が泣いても、これは結局私のための涙でしかない。

私がもたらすことのできるものはなにもなく、ただじっと立っている。目の前に立ちふさがり影を落としているのは自分ではないかと思い、心臓のあたりがぐっと押されるような心地がする。

出さなかった手紙たち

都内に雪が舞った3月の半ばから、瞬く間に桜が散ったいまのいままで、何度も書いては途中で手を止めた文章たちが蓄積している。思考は延々とループして、辿り着いたと思った答えをぐしゃぐしゃに丸めて放り投げて、拾って広げて、もう一度丸めて、を繰り返す。好きな人のことを想えば想うほど、私から離れた方が好きな人のためになるという結論に辿り着く。しかし、そう思うと心臓のあたりがきゅっと締まって苦しくなる。もうすぐ誕生日を迎えるからお手紙を書こうかと思って、言葉を考えて、これはいいかもと思うけれど、どうにも自分に酔っているみたいな気がして、やっぱり渡せない。どうやったら自己陶酔と憐憫をやめられるのだろう。

f:id:Vanity73:20180412225706j:image春の陽射しにまばたきする間に桜が開いて、立ち眩んでいる間に散っていった。本当にあっという間だった。仕事終わりの夜道、生暖かくなりつつある空気の中で、ひんやりとした風に巻き上げられた花びらがきらきらと光ってみえた。うろこのような、子どもの頃にお気に入りだった小さなバッグのスパンコールのような白とピンクのホログラム。万年思春期の私はここ数日間ずっと思い詰めていて、現実と詩情の狭間で情緒がぐちゃぐちゃになっている。ポエジーだけで生きていけたらどんなにいいだろう、なんてことを思いながら本屋をうろうろしていたら、Twitter発のポエムみたいなものをまとめた本が並んでいた。泣き顔の女だとか空だとかのイラストと一緒に、好きで好きで、とかなんとかそんな言葉が並んだ表紙を見た瞬間に、私が未練がましくこねくり回している感情や言葉も結局のところこういうものなのだと思って急に恥ずかしくなってしまった。こういうものに救われる子もいるかもしれないし、頭から否定する気もないけれど、あの小っ恥ずかしさは今の私そのものだ。陶酔的で安っぽくて。これまでも散々に書き散らしてきてなんだけれども、とても人様に渡していいものではない。今だって免罪符みたいにこんな書き方をして、とても卑怯だ。

f:id:Vanity73:20180412230302j:imageポエジーに、リリカルに生きる方法はたぶんひとつある。ひとりで生きることだ。特定の誰かに自分の詩を押し付けないこと、目の前の共有や共感を求めずにいること。身体に絶えず湧き上がる詩を詠むためには、孤独でいることだ。人はみんな孤独とずっと思っていて、今もそうだけれど、なんとか上手に、ひとりとひとりで並ぶことはできないでしょうか。どうやったらできるでしょうか。みなさんはどうやって、人と並んでいるのでしょうか。冷静に事実を鑑みると実は順調というか、そんなに思い悩むこともないような気がしてるけど、どうしてか怖くて怖くて仕方がないのだ。怖くて出せない手紙をあなたに託します。

 

昨年の今頃は誕生日も知らなかったと思うと、こうしてお祝いできることがなんだか不思議な心地です。

あなたは私にとって、突然降り注いだ光です。薄曇りだった私の毎日を照らしてくれた。

私が受け取った沢山の光は、あなたからの、そして神さまからの贈り物なのだと思っています。

あなたの聡く美しいこころは、きっとこの先もたくさんの人を照らし、救います。

あなたの過ごしたこれまでが、あなたのこれからの支えとなりますように。

これから迎える新しき日々が、愛おしき祝福と希望で満たされますように。

1秒でも長く、穏やかな時間を過ごせますように。

おやすみなさい。また明日。

お迎えの季節

f:id:Vanity73:20180227000607j:image好きな人とごはんの予定が翌週に振り替わって、中止になった訳ではないので何も問題はないしちゃんとフォローもしてくれたのに、その日の楽しみがなくなってしまったというわがままな悲しみに暮れた夜の間に、春の気配を伴った激しい雨と風が冬の空気をさらっていった。3月1日は気温が20℃に迫り、日中はコートを着ずに過ごせるほどの陽気だった。数日前から鼻と喉のあたりがむずむずとして、くしゃみも出始めたのでいよいよだなと感じていたけれど、季節、特に春への変わり目というのは毎年新鮮に切なく詩人にならざるを得ない。もう、「そして名前呼び続けて はしゃぎあったあの日/I LOVE YOU あれは多分 永遠の前の日/明日、春が来たら 君に逢いに行こう」以上の春の詩はないと思うけれど。春は、春が来るなあと思っているときが本番でいちばんロマンチックだ。

f:id:Vanity73:20180301220742j:image思い返せば、去年の3月は旅行や免許合宿の合間に卒業式と慌ただしく過ごしていたおかげでフリーターになるのが不安なようなそうでもないような、あらゆることへの実感を鈍らせた心地でいた。そして4月、好きな人を見た瞬間に密かに高揚してときめいてときめいている間に1年が過ぎようとしている。そういえば1年前のあの日も夕方に突然はげしい雨が降ってきて、春の嵐がひんやりとした静けさを残した帰り道、キリンジの「エイリアンズ」を聴きながら歩いたのを覚えている。私の永遠の前の日、ってあの日のことじゃなかろうか。そのほんのすこし前、大学の4年間は真面目にこなして、自分の好きなものを心置きなく楽しんで、人間関係もそつがなくちょうど良くやってきて心乱されることもなくフラットな状態を手に入れることができて、誰に対してもそれぞれの良いところや面白いところを程よい距離で心の中で愛でていた。そのときは本当にそれができていた思う。その代わりに、もう恋愛をすることはないと半ば本気で思っていたけれどそんなことはなく、フラットな状態もいまやぐずぐずに崩れ去った。好きな人に対して執着心みたいなものも芽生えていることに気が付いて、よくないなあと思いながら自分を宥めすかしている。もともと人と関わることが好きと自覚しながらも、どうしても苦手で(それは例えば運動ができない、と同じ類のことだ)避けてきたけれど、新たな環境で手に入れた新たなコミュニケーションは楽しくて随分と助けられた。他愛のない会話でも、人と話すことはある種のセラピーのようなもので、はしゃぎすぎず喋りすぎず、かといって喋らなすぎず、程よく平和なおしゃべりができると気が紛れる。ひとりで思いつめがちな人間なので、たまには人に聞いてもらったり、人の話を聞いたりしたいと思いつつ、人を誘うという行為のハードルがいまだに天より高い。「カラオケ行かない?」とか言ってみたいですよ、本当に。

ポスター/スチール写真 A4 パターン2 スリー・ビルボード 光沢プリント

帰る頃には肌寒くなっているだろうと思いながら、飽きてきたコートを着ずに済むことが嬉しくてワンピースにストールだけで出かけた。冬の食べ物や洋服にちょうど飽きた頃に次の季節がやってきて、四季というのはどうにもよくできている。私のこれまでも、生き飽きた頃に新たな出会いがもたらされることが多くて、どうにもよくできている。浮かれていると頭を冷ませと言わんばかりに寒の戻りがやってくるだろう。1日といえば映画の日マーティン・マクドナー監督『スリー・ビルボード』を観た。捜査が進展しない娘の殺害事件に対して道路沿いの看板で警察を挑発する、というあらすじからはもっとわかりやすい構造のクライムサスペンスを想像していたのだけれどまったく違った。誰が正しいとか悪いとか、間違っているとか、更にいうと好きとか嫌いとか、すべてのことはきっぱりと分けることができない。事件の真相は宙に浮いたまま、ミルドレッド、ウィロビー、ディクソンの行動と奇妙な関係性で物語がドライブしていってとても面白かったな。ミルドレッド、めちゃめちゃ格好良かった。やることなすこと容赦なくて気持ちが良かった。乱暴な行為に意味を持たせすぎないというか、肯定でも否定でもない温度。その微妙なニュアンスは俳優の力量も大きいのだろうと思う。素晴らしかった。


カネコアヤノ「さよーならあなた」

阿佐ヶ谷へ移動してgionへ。インテリアがところどころキラキラしていて上品な華やかさが素敵だ。ひとりでブランコに座る勇気がなかったのでリベンジしたい。gionといえば松本壮史が監督したカネコアヤノ「さよーならあなた」のMVの舞台でもある。最近カネコアヤノをよく聴いている。詞の乗せ方が気持ちよくて、特に「マジックペンと君の名前」の「君の名前はいい名前 ねえねえねえ 呼んだだけ」とかずっと聴けちゃう。gionでワッフルを食べて、阿佐ヶ谷アルシェでほりぶん『荒川さんが来る、来た』を観劇。ナカゴー『ていで』と同じく開演前から女優たちが舞台でも各々の台詞を繰り返して、自己紹介や裏設定を話してからはじまるスタイル。文脈から離れた台詞そのものの面白さと、あらかじめ知っていることで生まれる笑い。ロジカルなのに、終盤の肉体を酷使した畳み掛けは理屈抜きに笑ってしまうし、「すごい」以外の語彙が消えてしまう。どうやって演出したらあんなシーンが生まれるんだ…。厄介な荒川さん(川上友里)の「お話がしたかっただけなの」という台詞、切なくてあの状況だからこそ響いてしまう。誰かの代わりになること、というテーマもいいな、と思いつつも猫背さんの暗転のシーンで思わず脱力するほど笑ってしまった。なんかもう、降参です、という面白さ。 f:id:Vanity73:20180303232611j:image春物を表に出しておこうと衣替えついでに、もう着ないものは処分しよう、と服の整理に取り掛かる。今年の冬に一度も袖を通さなかったコートを最後に羽織ってみると(それがいけないのだけれども)、久々だから新鮮に思えてまだ取っておこうとついクローゼットに戻してしまう。サイズが合わなくて着心地が良くないなと思っていたものも、暖かくなったら下を薄着にして着ればちょうど良いのではと気付いてまた戻す。数年前から太って入らなくなったワンピースも広げたら可愛いくて、痩せたら着れるし、とまた戻す。このシャツ、インナーにしたら可愛いじゃん、とまた戻す。まったく減らない。もう諦めた。しばらく忘れていた服を掘り返すと、出会い直しているみたいで楽しい。今度のお出かけでは買ったばかりの千鳥格子の靴下をおろす。この陽気ならばあのワンピース、とも思ったけれどまた寒くなって雨も降るらしい。どうしようかな。銀座の街に/革命が起こったら/どのブランドを着て/戦おうかな?

回線

f:id:Vanity73:20180216013104j:image毎年忘れてしまうけれどそういえば2月がいちばん寒いのだ、と覚悟していたのに中旬の数日は穏やかな陽射しの日が続いて、空気もそこまで冷たくない。心なしか花粉がすぐそこまで迫っているような気配すらある。自分のブログを読み返していたら昨年の春に気になる人が花粉症と言っていたけれど緊張して会話のチャンスを逃したと書いてあった。それから早いもので半年、下手したら1年が経とうとしているけれど、気になる人は死ぬほど好きな人になっているし、今は楽しくおしゃべりも身の上話もできるようになっているよ、と過去の私に教えてあげたい。現状としては、あれ?付き合ってんの?みたいな距離感や会話もあるのだけれど、むしろ何も意識していないゆえのこの距離感?と思う場面もあり、でもこれでそんなつもりはなかったとか言われたら立ち直れないんですけど?という感じです。なにせ惚れてしまっているものだから、すべての言葉を真に受けてしまう。こんな風にセンチメンタルに言葉を連ねて、少しずつ物語にしてしまわないと正気を保てない。当たり前だけれど、目の前にいる瞬間がいちばん好きで、反射的に好きと思う。仕事中に話しているときとか、カウンター席で並んでご飯を食べたときの横顔とか。大人は告白なんてしません、とカルテットの有朱ちゃんも言っていたし、いまはペットボトル何本分の距離かもわからないけれど、まだまだのたうちまわるつもりだ。

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luteのInstagramストーリーで配信されたドラマ『それでも告白するみどりちゃん』全8話が終わってしまった。1週間、毎日楽しみがある感覚は朝ドラに近いものがあったなあと思う。24時間で消えてしまうので見返すことができないのが少しもどかしいけれど、みどりちゃんの谷口くんへの想いは日々更新されているのだと思うと当然のことのような気もする。再放送もされたが、これもまた消えてしまうと思うとなんだか覚えておかなくては、残さなければという意識が働いて好きな台詞をメモしたり熱心に見た。台詞を書き起こしてみると、句読点の使い方やそれを的確に発話する俳優たちの素晴らしさがよくわかる。みどりちゃんを見守るくらっちや谷口くんの視点の回が挟まるのも良くて、3人のことすっかり大好きだ。最終話でついにみどりちゃんが「谷口くんが好き」と言葉にしたのに対して「え?早瀬さん僕のこと好きなの?」と返す谷口くん、ボンクラにも程があって愛おしすぎるぜ。「隣で‼︎ロングシュート決めたら大作戦」でのくらっちのモノローグも大好き。

(私は谷口くんが好きなみどりちゃんが好きだ。不細工なフォームで、不細工なシュートを放つみどりちゃんは、美しい。

誰かを好きな顔があんなに魅力的なら、みどりちゃんが好きな今の私の顔も、少しは明るくなってたらいいな。)

『デリバリーお姉さんNEO』『それでも告白するみどりちゃん』を経て、いつ高シリーズの新作がとても楽しみだ。もちろんそれだけではないですけれど、青春ものの未来は三浦直之の手に託されたといっても過言ではない。 

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

 

書評家の豊崎由美さんが「『カルテット』が好きだった人、絶対楽しめますから、是非読んでみてください。」とツイートしていていてもたってもいられずまんまと手に取った佐藤正午の『鳩の撃退法』を読み終えた。めちゃくちゃ面白かった。小説家の津田伸一を主人公に彼が体験したことを脚色しながら小説の中で小説を書くという入れ子構造なので、ぼうっとしているとどこが事実でどこがつくり話なのかわからなくなってしまうのだけれど、いやそもそもこれ全部フィクションだし!とまんまと術中にはまってしまった。この津田伸一のキャラクター造形がとても良くて、どうでもいいことにこだわる台詞や本筋と関係ありそうでない些細なモチーフの連なりは確かに坂元裕二と共通する部分がある。鳩の撃退法を読み終えたあたりで、『anone』でも瑛太が動き出したのでにわかに偽札づいている。

偽札から話は変わるけれど、5話での彦星くんがハリカの働くパン屋でポイントカードを作る夢の挿話が好きだ。いつ死ぬかもわからない難病で「明日の話はしないでください」と言った彦星くんが明日を意識するきっかけをポイントカードに託してしまう。ポイントカードといえば朗読劇『カラシニコフ不倫海峡』にも登場するし、身近な取るに足らないものから人の暮らしを浮かび上がらせた『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』7話のレシートを思い出したりした。あと、『woman』で本筋とは関係のないシーンなのだけれど、病院で即日入院してくださいと告げられた女性がTSUTAYAの袋を持って「これ、帰りに返そうと思ってたのに…」と言うシーンも思い出した。これらと比べるとanoneはちょっとあざといかなとも感じるけれど、ポイントカード、レシート、レンタルビデオ…大仰な言葉よりも雄弁に、連続する日常の切実さを描く筆致にやはり感動してしまう。

f:id:Vanity73:20180222214514j:image2月は『近松心中物語』、ハイバイ『ヒッキー・ソトニデテミターノ』、カオルノグチ現代演技 第一技『演劇部のキャリー』、『テアトロコントvol.25』を観た。『近松心中物語』、この2人がカップルならば!と観劇の決め手となった小池栄子池田成志が予想以上に素晴らしく。忠兵衛と梅川、与兵衛とお亀のどちらも惹かれ合う過程は省いて当たり前のようにお互いを愛し合っているのが、理屈じゃないという感じでとても良かった。潔いほどベタなものは普段は敬遠しがちだけれどいざ見たら面白いもので、大きな劇場ならではの奥行きを使ったラストシーンも美しかった。

本公演を観るのはやや久しぶりな気がするハイバイ、扱うテーマは決して軽くないし観ている間も自身を省みて辛くなるけれど必ず足を運んでいる。自己と他者、社会、人生といくらでもアカデミックになりそうなテーマをさらっと見せられて、気付かないうちに揺さぶられている。観た人の各々の体験や感情がじわじわと湧き出して、私演劇がさらなる私演劇を生みそうな力がある。引きこもりの経験はないけれど、私は新卒で非正規雇用という「このままでは良くない」と思わざるを得ない状態にあるので、なんとか外に出れば、状況を変えればという焦るような縋るような気持ちが少なからずわかる。しかし、一方でこれが間違っているのか、私を捉える正しさとは何かわからない。外に出ることが幸せか、これもきっと一生わからない。けど「人生っぽいこと」を諦めきれないだろう。あといつも役者が1人残らず良い。藤谷理子さん、とても好きです。

『演劇部のキャリー』、入江雅人の作演出を観るのは『デスペラード』ぶりで、まさにこの作品で邂逅した野口かおるとオクイシュージの因縁対決を見届けなければというお気持ちで。演劇に対する愛と恥が何周かして、衒いも捨てていて謎の感動がある。演劇の恥ずかしい感じを敢えてあんなにストレートにやられると、もう参りましたという感じだ。野口かおるはやっぱりすごい。

テアトロコントは城山羊の会を目当てに初めて足を運んだ。犬の心、わっしょいハウスラバーガールも面白くて満足。城山羊の会は「つばめ」「婚約者」の衝撃的な短編2本。巧みに作られる気まずい空気自体にはどこか身に覚えがあるのに、出てくる人がだいたい狂っててやはり独特だなあと思う。

f:id:Vanity73:20180222222846j:image下北沢で観劇前に豪徳寺まで足を伸ばしてバレアリック飲食店でご飯を食べる。VIDEOTAPEMUSICをきっかけに知ったお店なので本当はDJをする日などに行ければいいのだけどなかなか都合がつかなくて、下北沢なら直ぐだしと立ち寄ってみた。ら、店内BGMで『ON THE AIR』が流れてきて最高の空間だった。お隣の和菓子屋さんまほろ堂蒼月も素敵だし、駅周辺には昔からある商店と新しい小さなお店が共存していて面白い街だった。のどかだけれと、ふと路地に目を向けるとやっているのかわからない妖しい酒場や惣菜屋、風呂屋あって魔界の入り口みたいな場所がいくつかある。暖かくなったらこのあたりを散歩するのも良いな。

f:id:Vanity73:20180224182349j:image朝、最寄りの沿線が人身事故で遅延していたのでルートを変えて通勤した。土曜日ということもありそこまで混雑していなくて助かった。普段は地下鉄で外が見えないのでJRの車窓を朝に見るのは新鮮な気持ちだ。埼京線が埼玉から東京を渡るグラデーションはどこからが東京かわからなくて面白い。電車が遅延して、今日のようにルートを変えるとなんだか特別なことが起こったような気がして誰かに話したくなるのだけれど、特な大変だった訳でも何か事件があった訳でもないので結局誰にも話さないで終わる。こういうとき、インターネットはうってつけの場所だ。誰かに言いたい、相手は問わず何か応えが欲しい訳でもない言いたいだけのことが書ける。誰でもない誰かに向けているからこそ書ける。その逆も然り、主張のない散文のような日記のようなブログが好きで、見つけると嬉しくなる。わたしたちは少しずつおんなじで、少しずつちがっている。何も知らないけれど、たしかに知っているひとが、今日も生活しているというだけで、充分ではないかという気すらする。

愛の作法

わたくしの二十世紀

2018年の1月は坂元裕二の新しいドラマ『anone』がはじまって、菊地成孔SPANK HAPPYの再結成を宣言し、東京に大雪が降った。私は好きな人と2回出かけて、映画と美術館へ一緒に行った。2月にも約束してあって、いつか遠出もしたいねと話している。用心深い私もさすがにこれはひょっとしたらひょっとする展開と思う反面で、このくらいは異性の友だちとしても普通という価値観なのかも知れないし、と予防線を張って切なくなったりしている。色々と話をしていると、年齢や性別に分け隔てなく人と関わることが好きでとても大切にしていることがわかる。そこがとても好きだし尊敬しているけれど、もしかしたら私に対する態度も恋愛でもなんでもなく特別なものではないのかも知れないなとふと思ってしまう。だとしても、私は好きなのである。あなたのことどれだけ好きだと思ってんの?と喧嘩腰になるくらいの気概で来たるバレンタインデーへ向けてチョコレートを物色をする毎日だ。

f:id:Vanity73:20180202203346j:image1月に観たものや行ったところについて少しずつ書き溜めてはいたけれど気付いたら2月になってしまって、毎度のごとく公開するまでもない文章が集積している。舞台はシディ・ラルビ・シェルカウイ演出『PLUTO』、エレ片『新コントの人』、福原充則演出『秘密の花園』、ロロ『マジカル肉じゃがファミリーツアー』、玉田企画『あの日々の話』を観た。こうして並べてみると幅の広い表現に触れたひと月だったなあ。どれも面白かった。ロロはなんだかもうきらきらのぴかぴかで最強だ。無敵だ。大好きだ。玉田企画も面白すぎて、玉田真也の天才ぶりにため息が出る。役者としても力があって、宮藤官九郎とか岩井秀人とかそういうレベルにあっという間に達してしまうだろうな。7月の公演にはロロの島田桃子さんが出るそうなのでとても楽しみだ。

『anone』は現在4話まで進んでいますが、ストーリーもぐんぐんと面白く、かつ叙情的で世間や社会では零れ落ちてしまいそうなものを丁寧に掬い上げていて、なんだかもう凄い。広瀬すずもずっと最高だ。3話での西海(川瀬陽太)が迷い込んだフェレットを帰しに行って芽キャベツを貰ってくるなんていうくだり、どうやったら書けるんだ。4話でのるい子(小林聡美)の生まれなかった娘のイマジナリーフレンド(と書いてしまうと大切なものが零れ落ちてしまう気がして躊躇われるほど、繊細で素晴らしかった)にはロロの三浦さんとの共鳴を感じた。野木亜紀子オリジナル脚本の『アンナチュラル』も楽しく観ている。うっかり2話を見逃してしまったのが痛い。3話の井浦新、こんな新が見たかったのだ!という感じで、役者の魅力を最大限に引き出していて嬉しくなる。


McRinna「I♡U∞」

luteのInstagramストーリーで24時間だけ見ることができる三浦直之脚本、松本壮史監督のミニドラマ『それでも告白するみどりちゃん』が面白い。みどりちゃん(りりか)がダンス、念力etc…あの手この手で谷口くん(中島広稀)に告白するという三浦さんのエッセンスが濃縮されたドラマ。AIのりんなの力を借りて告白する3話「濃厚!知恵しぼり大作戦」の

みどり:私の愛は、そんなググって出てくる言葉じゃダメなの

りんな:うん、わかった

検索しても見つからない愛を私が見つけ出してあげる

をはじめ、キラーワード満載。『デリバリーお姉さんNEO』が見返したくなるけれどGyaoでの無料配信はもう終わってしまっているのかー。私も好きな人のことが好きすぎてみどりちゃんの言ってることにぶんぶん首を縦に振ってる感じなので、誰かを好きになることや愛を伝えることを肯定してくれる三浦さんのことを心の中で味方のように思っている。

f:id:Vanity73:20180202195815j:image2月1日、神田の近江屋洋菓子店へ。白い苺やマスカットなど大ぶりの果物たちにも目を奪われつつ、はじめて訪れたのでここは定番の苺サンドショートを。ケーキもドリンクバーのフレッシュジュースや野菜スープも見た目通りの美味しさで落ち着く。少し高めのカウンター席、天井と同じコントラストのブルーと白の制服、薄くながれるABBAのダンシングクイーン…夢のような空間だ。空間が広いからかお喋りがこだましていても気にならないのが心地いい。

池袋へ移動してシネリーブルで大九明子監督『勝手にふるえてろ』を観賞。噂に違わぬ傑作。沢山の人が思うことだろうけど、御多分に洩れずヨシカ(松岡茉優)はあまりにも私だ。私はヨシカだ。私も視野見(しやみ:視界の端で好きな人を見ること)、できるもの。私ごときが…と卑下しながらも自分のことしか見えていない感じとか、自分がイチ(北村匠海)に何かをもたらした記憶にうっとりとすがってしまうところとか、わかりすぎて泣いてしまう。人と関わるの大変だよね、でも喋りたいよね、できないけど、でも、誰かに名前を呼んでほしいよね。あと写真でLINEを交換する手口、ちょっと似たようなことをやったことがあるので死ぬかと思った。わかる、という同意や共感ばかりが口をついて出てしまうけれど、それだけじゃないパワーがこの映画にはあって、なかなかうまく言葉にできない。そして松岡茉優の筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。『問題のあるレストラン』6話で二階堂ふみ高畑充希と公園のベンチに座りながら、ふたりを眺めて「生きててよかったな。生きような。」と呟くシーンが私の中で最高の松岡茉優だったのですが、あの良さが2時間ずっと続く感じ。

パビリオン山椒魚 オリジナル・サウンドトラック

Netflix冨永昌敬監督『パビリオン山椒魚』を観た。昔観たときは訳のわからない映画という印象だったけれど結構面白いぞと見進めると、最終的にやっぱり訳がわからなくて良かった。いかにも意味がありそうでまったく意味がないのが最高。わからないでいいということがわかるようになった。オダギリジョー香椎由宇のラブシーンで、レントゲン車がシャボン玉で満たされるのがとても美しくて好きだ。なぜいまパビリオン山椒魚を観たかというと、3月公開の冨永昌敬の最新作『素敵なダイナマイトスキャンダル』が無性に楽しみなのである。菊地成孔と小田朋美が手がける音楽と主題歌「山の音」(尾野真千子末井昭のデュエット)も、予告編で聞く限り最高の予感。次のSPANK HAPPY尾野真千子末井昭なのかも知れない。


映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』予告編

2月2日、久しぶりになんの予定もない休日で昨晩からはらはらと小雪が舞っていたのもあって、夕方に散髪に出かけた他は家でぐだぐだと過ごした。ラジオを聞きながら部屋を少し片付けて、もういらないものを整頓しようかと思ったのだけれどものが多すぎて途方に暮れた。本棚も整理しようとして、本をあちらからこちらへ移動するだけで終わってしまった。大きめの棚を買って本やCDを一箇所にまとめたいと前々から思ってはいるけれど実現しない気がする。そういえばこの前、好きな人と家や部屋の話になって、衣食住の話なんて数ヶ月前には想像も出来なかったことだからとても嬉しくなった。どんな話も嬉しいのだけれど、触れられる領域が広がっていくようで。昨年末から2週に1回のペースで出かけていて、恋が留まるところを知らないのですが、思い上がるにはまだ早いぞと自分を鎮め、来たるべきときが来たならば、どんな風にこれまでとこれからの気持ちを伝えようかと考えている。

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平成30年年始報告

f:id:Vanity73:20180102003225j:image新年あけましておめでとうございます。平成30年という区切りのよい数字にして、元号が変わる前の最後の1年であります。だから何だと問われれば特に何もありませんし和暦にこだわりがある訳でもありませんが、1年のはじまりは些細なことも新鮮でぴかぴかに感じられるので書き記してみました。新しく買ったノートの最初のページはいつだって丁寧に書きたくなるものですから。年を越すと昨年のことを話すのはどうにも野暮のような気がしてしまいますが、昨年末の数日間のことも書き残しておきたい気分なので、年末年始を記録したいと思います。

私をスキーに連れてって [DVD]

27日に仕事を納めて冬休みに突入し、28日は神保町シアターのバブル映画特集で和田誠監督『快盗ルビイ』と馬場康夫監督『私をスキーに連れてって』を観賞。どちらも気持ちいいほどに内容が無くて最高だった。可愛くてハッピーならばそれでいいのだ。間違いない。『快盗ルビイ』の小泉今日子真田広之、とにかく可愛い。『私をスキーに〜』は原田知世の可憐さはもちろん良いに決まっているのだけど、黒髪ロングの高橋ひとみお姉さまが素敵だった。翳りのないハッピーな映画で気分を高め、翌29日は好きな人が映画に誘ってくれてふたりで出かけた。数日前から、これもしかしてデートじゃない?デートだよね?と何度も自問自答を繰り返していて、緊張するかと思ったけれど意外とリラックスできてとても楽しかった。素が出すぎてもっと綺麗な食べ方したかったとか、たまにちゃんと話聞いてなかったとか反省は山ほどあるけれど、カフェの窓際の席でおしゃべりした時間なんかを思い出すと今でも満たされた気持ちになる。あの時間に戻りたいという気持ちと、もっと沢山あんな時間を過ごしたいという欲張りな気持ち。多分デートと呼んでよいと思う一方で、おそらく私の気持ちには気付いていて私を満足させるために付き合ってくれたのかなとも思っている。思慮深い人だから、私に変な期待を持たせるようなことはしないのではないか、とも思うけれど、友だちとしてかもしれないし…という堂々巡りを、夕方から約束していた友人たちとの忘年会で延々聞いてもらった。話さないと落ち着いていられない状況で、ずっと同じことを喋ってもちゃんと聞いて盛り上げてくれて本当にありがたい。鍋を囲んでひたすら話し、終電間際まで1時間ほどカラオケへ。盛り上がってくると箸が転がるだけで腹がよじれるほど笑って騒がしくしてしまうので、カラオケが1番よいな。好きな人へのお礼のメッセージを添削してもらって、文末に「おやすみなさい」を付けるか否かで30分悩んだりした。

Mother [DVD]

Mother [DVD]

 

30日はひたすらテレビの前にいた。昨日の『有吉の壁』、アルコ&ピースのやってTRYよかった。あと三四郎の逃げ恥も最高。チョコレートプラネットやタイムマシーン3号がいつも素晴らしい仕事ぶりで好きだ。年末年始は特番に加えて、冬休みの間に『STARWARS』シリーズと、1月から始まる『anone』に備えて未見の『mother』を観るのだ。大忙しだ。飽きないようにスターウォーズⅣ、mother 1.2、スターウォーズⅤ、mother 3.4と交互に見ていたら、ダースベイダーがルークの父親と明かされ、松雪泰子は田中裕子が実の母親であると勘付き、図らずも親子の因果を感じまくる1日となった。夜は『クイズ正解は一年後』をリアルタイムで観る。劇団ひとりの「冨美沢梅男」の言い間違いが妙にツボにはまって思い出すたびにクスッと笑ってしまう。キンタロー。について猛勉強してるのも最高だった。有吉が『クイズスター名鑑』終了を当てていて、相当楽しそうなのにこの温度感が良いんだよなと思った。31日は母の買い出しについて行き、逃げ恥の一挙放送を眺めながら煮物の下拵えをした。いつも読んでいるいくつかのブログが次々と滑り込むように1年を振り返ったり年末にちなんだ記事を更新していて、それらを楽しく読んだ。紅白のひよっこコーナーは正直物足りなかったけれど、このささやかさこそがひよっこだったよなと思い直せばまた彼らの顔が見られて嬉しいものである。椎名林檎は相変わらず完璧で、フィナーレで頭飾りの蝶々を高橋一生吉岡里帆におすそわけし、きっちりと松たか子の隣をキープするデキる女ぶりに惚れ惚れとする。格好良い。年越しはここ数年私の恒例となっている「2355・0655」スペシャルで。静かな時報とたなくじで新年を迎えた。それから、好きな人が新年の挨拶のメッセージをくれて嬉しい。

f:id:Vanity73:20180102150537j:image元日はお雑煮とおせちを食べて、いつからか恒例行事となった浅草へ家族で出かける。一張羅の可愛い着物を母に着せてもらうのだ。出かけるまで時間があったので『スターウォーズ エピソードⅥ』を観た。なんか可愛いやつが沢山出てきて楽しい。お正月のネタ番組も色々と観たかったのだけど、タイミングが悪いのか観たいものに当たらず今年はDVDや録画に時間を費やした。『ゴッドタン マジ歌選手権』はバカリズム×Enjoy Music Clubが最高だった。江本祐介の名曲「ライトブルー」がまさかの…綺麗にメロディにはまっているものだから今後も思い出してしまいそうだ。

f:id:Vanity73:20180103001628j:image2日は佐野のアウトレットにでも行こうかと家族で出かけたものの、高速道路の出口から既に大行列が出来ていたのでスルーして栃木や群馬のあたりをドライブした。郊外の大きな道路に集まるチェーン店のネオン群はそれだけで切ない気持ちになる。いままであまり意識したことがなかったけれど、私は埼玉生まれ埼玉育ちで出かける度にこの同じような景色を見ていて、今も県道の景色が異様に好きなのはこれが私にとっての原風景ということになるのだろうか。車内BGMの選曲権を握っていたので、その原風景にどんぴしゃで訴えかけてくるVIDEOTAPEMUSICやceroを流しながら車に揺られていたのだけれど、最高だった。この日は月が異様に大きくて、昇りきる前の月が山間に浮かぶ姿はハリボテの偽物みたいだった。3日は特に外出はせずに再びテレビの前で過ごした。『キングちゃんSP』のフリースタイルバトル、並み居る猛者たちの中でゴッドタンからの刺客ともいうべき劇団ひとりがシンプルに狂っててやっぱり最高だった。復活するレギュラー放送も楽しみだ。『mother』を最終話まで一気に観てカラカラになるまで号泣する。女たちよ!主演の松雪泰子をはじめ俳優陣が軒並み素晴らしくて、高畑淳子の揺るぎない母親像と田中裕子の所在無さと力強さの共存する女性像に涙する。今更ながら芦田愛菜ちゃんの天才子役ぶりに心酔していたら、お正月番組でめちゃくちゃ大きく成長していてびっくりしてしまった。私だけ時間がねじれている。これで坂元裕二×田中裕子シリーズの最新作『anone』へのウォーミングアップもばっちり。先日テレビで予告を観たのだけれど、ショートヘアの広瀬すず瑛太阿部サダヲの佇まいも完璧で、否応なしに期待が高まる。あとは『スターウォーズ エピソードⅠ』を観た。4日は録画消化デー。ピース又吉脚本のドラマ『許さないという暴力について考えろ』の柴田聡子さんとてもかわいい。藤井プロデューサーの『水曜日のダウンタウンSP』と『人生逆転バトル カイジ』、人間の色々な一面が浮き彫りになっていてバラエティを観た後とは思えない後味だったな。哀しきモンスター黒川明人さんの人間性に深刻に引いてしまう反面でどこか他人事と割り切れない見栄と哀しさもあり。健気に嘘ツイートをするシーンとか泣きそうだった。タクシーの運転手への優しさとレイちゃまへの気持ち悪さがいい塩梅に編集されている…。カイジに出ていたニートチャーハンさん、モテキのときの森山未來に似ていて思わず肩入れしてしまった。

f:id:Vanity73:20180104174558j:image昔から冗談やお世辞を本気にしてしまうタイプで、歩み寄ってみると「いや、違うんだけど…」と齟齬が生じてしまうことが何度かあった。それからは全ての言葉を冗談やお世辞として受け止めて、自分から誘ったりアプローチしたりすることをしなくなった。鬱陶しいと思われるのは格好悪くてみじめだから。いままでそうして気を付けてきたのに、好きな人が優しくしてくれて浮かれてしまって、久しぶりに少しやらかしてしまった。もしかして脈あるのでは!?と思ってしまって不覚にも調子に乗った。ないない、やっぱりない。今年ものたうち回ることと思いますが、よろしくお願い致します。