ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

in love

f:id:Vanity73:20190401192623j:imageとても不毛で時間の無駄だということは自分でも充分わかっているのだけれど、どうしても好きな人に振られてしまったらどうしようと考えることがやめられない。人の気持ちは変わっていくものだということはわかっているし、自分の気持ちだって変わっていく。そのことがとても怖い。

わたしは学生の頃から政治や社会に疎いことをずっとコンプレックスに感じながらも、やはり関心が持てずに何も考えない毎日を送っている。好きな人は社会のことにとても意識を向けている人で、そういう話をしても身のある意見を返せなくて、がっかりさせてしまう。呆れられた、と思う。もし、自分の意見を持った女性と出会って、意気投合したら、わたしよりもその人のところへ行ってしまう、という妄想が止まらない。どうか笑ってください。そういうことを抜きにしても、勉強した方がいいに決まっているのに、なんだかぼうっとしてしまう。怠惰なのだ。ラジオを聞くところから始めてみようかな。

わたしは太っている。もとから痩せ型ではなかったけれど、ここ数年で輪をかけて太った。痩せたい、と言うと最初のうちは痩せなくてもいいよ、なんてお決まりの台詞を言われていたけれど、最近はストレートな言葉を言われるようになった。とても魅力のある容姿ではないことは自分でもわかっているけれど、そこで一念発起してダイエットするほどの気概は今のところない。怠惰にもほどがある。間食もやめられないし、運動をする気力もない。

わたしは料理ができない。料理も家事も完璧にこなす母に甘やかされて育ち、何もしない子供のまま24歳になってしまった。好きな人のまえで包丁を使ったときにはその拙さにびっくりされた。好きな人は料理が上手だ。料理しよう、と言われて、わたしも必要に迫られたときはやるけれど、それ以外は全然。何を作りたいとか食べたいとか、そういうのが浮かばない。何もしなくてもご飯が出てくるしあわせな環境に甘んじてしまっている。

f:id:Vanity73:20190401203628j:image1年かけて、少しずつ自分の恥を好きな人に晒して、少しずつがっかりさせてきた。これではいつ振られてもおかしくないと思いながらも、具体的な行動に移すことができない。努力をする、ということを放棄してしまっている。休みの日は必ず二度寝をして10時過ぎまで寝ているし、何の予定もない日は1日の半分をラジオを流しながらTwitterInstagramはてなブログを眺めて過ごしている。その間もずっと好きな人のことを、好きだなあとか、私のこと好きかなあ、とか、振られちゃいそうだなあ、とか考えて何も手につかない。そのまま日がくれて、お風呂に入って、母の作ったご飯を食べて、眠る。安全な毎日。

振られても仕方ないと思いながら、そんなのは許さない、とも思っている。あなたが引っ越すというから私は転職までしたのに、一緒に暮らすことだって叶っていないのに、気持ちが変わって私を振るなんてあり得ないから、ってとても身勝手で醜いことを考えている。自分の不細工さに涙が出てくる。わたしはどうしてこうなってしまったの?

こんな風に書きながらも、自覚があるのだからまだ大丈夫と思っている節があって、始末に負えない。かろうじて焦りを感じて、そしてそれを忘れて、なんとか1日をやり過ごして、まだ好きな人に振られていないことに安堵して、また焦りを感じて、の繰り返し。仕事にも身が入らない。何もかもうまくできない。やらないから。ちゃんとやっていないからそんなの当たり前だ。

f:id:Vanity73:20190401203750j:image神さまは無条件に愛してくださっているよ、と言う。それはわたしも思っているし、神さまにお祈りをする毎日。でも、わたしはあなたに愛されたい、あなたと話がしたい。そのために努力が必要なことはわかっているのに、動けない。結局、わたしは自己愛が強いのだと思う。こんなに駄目なわたしと恥じるふりをしながら、自分のことが可愛くて仕方がないし、自分のことしか考えられない。

自分でもまたか、とうんざりするけれど、「一緒に暮らすって言ったのに」と毎日うじうじ考えてしまう。自分で決めたことだと覚悟を決めたはずなのに、やっぱりふたりで決めたこと、好きな人も望んでくれたこと、ということに固執してしまう。それをなかったこと、過去のことにされてしまいそうなのが悔しくてたまらない。仕事が辛くても、何があっても、好きな人と一緒にいられるならそんなのなんてことないのに。当時はきっと好きな人もわたしを必要としてくれていたのだと思うけど、だんだんそうではなくなっていって、わたしが諦めるのを待っているように感じる。言ったじゃないか、なんて相手を責めるようなことしたくないけど、正直そう思ってしまう。

思うようにいかなかったり、人の気持ちが変わってしまうのは仕方のないこと。ということを何度も自分に言い聞かせているのに、わたしは頑なにそれを受け入れられない。大抵のことはどうでもいいのに、好きな人のことだけは諦められない。忙しくなって連絡が減る、あまり会えなくなる、別の人に惹かれてしまう…まだ起こっていないことを恐れて、憂鬱になっているなんて馬鹿みたいだ。こんなことを執拗に思っていたら本当になってしまいそうだ。

大丈夫、好きな人はまだ連絡をくれるし、会えば楽しそうに話してくれる。わたしのことを気にかけてくれている。ダイエットをして、勉強をして、自立すれば、きっとわたしのことを好きでいてくれる。大丈夫。わたしはできる。

依存でも執着でもなく、好きな人への愛を結実させることができますように。自分でもどうしてこんなになってしまうのかわからないのだから、もうすべて委ねるしかない。生きていくのはこわいけど、あなたがいるなら、と思う。

セルフカウンセリング

f:id:Vanity73:20190322185545j:plain2年前の4月、私は就職が決まらないまま大学を卒業してフルタイムのアルバイトを始めた。そこで出会った人に一目惚れをして、そこからは気が付けば好きな人のことを考える毎日が始まった。年齢も、住んでいる場所も、独身かどうかもわからないまま、あこがれを募らせ続けて、見てるだけで、好きなだけで満足という片想いだった。いま思うと、将来への不安から逃避していたのかもしれない。そのアルバイト先はとても居心地がよくて、自分にとても合っていたのだと思う。友だちもできて、いろんな不安から目を背けるにはうってつけの場所だったのだ。

勤めはじめて半年が経つ頃には、好きな人と随分と雑談もするようになって毎日楽しくて仕方がなかった。そのうちにあこがれから、好きな人のことをもっと知りたい、自分のことを知ってほしい、と徐々に具体的な関係性になりたいと望むようになっていった。向こうにも私の好意は完全に伝わっていて、年末頃から映画やご飯に誘ってくれるようになった。私は舞い上がりながらも、期待して傷つかないように予防線を張って、なんとか平静を保つ日々だった。週に3回は職場で顔を合わせて、2週間に1度くらいのペースでデートをする。やきもきしたり、不安になったりもしたけれど、それも含めて「恋」と呼ぶ他ない日々。なにより、胸を焦がした相手が私のことを見てくれた、というよろこびは計り知れないもので、それは同時にとても危険なものでもある。

f:id:Vanity73:20190214164918j:plainアルバイトを始めて1年が経った頃、好きな人から転職を勧められることが度々あった。それに深い意味はなくて、まだ若いのにフリーターであることを心配してのことだった。好きな人もその年で契約が終わって職場を去ることが決まっていた。この居心地の良い場所で、好きな人たちに囲まれて過ごす日々が終わってしまうことも、私のセンチメンタルを加速させていた。私も契約が更新できる限り辞めることは考えていなかったのだけれど、昨年の4月、好きな人が住む町の求人が出て、私はそこを受けることにした。正規職ではないけれど今よりも待遇はよくて、経験も積める。それに何より、本当に好きな人との関係が続くのか不安で仕方なかった私は、好きな人が住む町に勤めるということに賭けた。この求人を送ってくれたのは好きな人だったし、履歴書や面接もずいぶんと協力してもらった。他にも事情が重なって、お互い実家住まいだから、このあたりで部屋を探してもいいね、なんて話をした。一緒に暮らそう、とはっきり言われたわけではなかったから、そのときも私は予防線を張って、遠慮がちにその話を聞いていたけれど、内心は期待で胸がいっぱいだった。それに何より、好きな人がそう思ってくれていることや言ってくれることは、一緒にいようと望んでくれたなによりの証左だった。同じ職場でなくなったことをきっかけのように、苗字から下の名前で呼んでくれるようになったときのよろこびを今も忘れていない。

私は採用されて転職を決めた。これは完全に愚行としか言いようのないことなのだけれど、少しでも有利になるようにと、転居の予定がありますと書いて応募した。どうにでもなれ、という気持ちで書いたことが自分自身を苦しめて、なんだか犯罪者にでもなった気分だった。子どもみたいで馬鹿なことだなあと思う。結果的に大目に見てもらえることになって今は大丈夫なのだけれど、なんというか自分の愚かさや幼さがとても恥ずかしい。この焦りは私を苛々させて、好きな人との部屋探しにも影響してしまったと思う。このことで、私は必ず引っ越したい、という気持ちになってしまって、本来の期待や望みはいつしか執着に変わってしまった。思い返せば、ふたり揃ってここにしようと迷いなく言える部屋には出会えなかったし、現実的に難しいことも山ほどあった。お互いに顔色を伺うような空気もあって、あのとき遠慮せずに素直に話していれば、なんて思うこともある。私は私を赦せていない。

f:id:Vanity73:20190209150231j:plain転職した職場は、最初に仕事内容や雰囲気が肌に合わないと感じたまま、うまく馴染めずにいる。おそらく、馴染みたくないと思っているのだ。母親と同世代の女性が多く、若い私は子どものように大目に見てもらっていることが沢山あって、それは感謝すべきことなのだけれど、なんともいたたまれずにたまらない気持ちになる。嫌な人がいるわけでも、残業があるわけでも、特別忙しいわけでもない。充分すぎるほどに休みもあって、怒られるわけでもない。何が不満なのかと自分でも思う。でも、どうにも苦しいのだ。私は言われたことをこなしていくことが得意だと思っていたのにそれも満足にできなくて、自分で考えて提案しなければいけないのはかなり苦しい。そして何より、この仕事にまるで興味がないことに気がついてしまった。

もう辞めよう、と何度も思うのに踏ん切りがつかずにずるずると来年度の契約を更新してしまった。転職しようと求人を見ても条件や給料を考えると離れがたくもあるのが事実だ。世間的に見れば薄給だし探せばもっといいところはある。若いうちに他の職種に移らなければ転職はどんどん難しくなる。それに何より、これは本当は切り離して考えるべきなのは頭ではわかっているのだけれど、ここは好きな人との接点なのだ。どうしてもその考えが捨てられない。一緒に暮らすのはあと1年待って欲しい、と言われて、今はそれを信じたり信じなかったりしながらしがみついている。いざ暮らせるとなったときに、私に仕事がなかったらと思うと離れられない。これはもう、妄執と意地だ。私を苦しめているのは私自身であることは十分すぎるほどに理解している。

f:id:Vanity73:20181228181905j:plain仕事が思うようにいかないこと、引越しに関しても煮え切らないことで私はあまり見せないようにしていた不安定さや醜さを好きな人に露呈することになってしまった。最初は根気強く付き合ってくれていたけれども、近頃は本当にうんざりさせてしまっている。きっともう、前みたいに私のことが好きではないと思うのだけど、いまのところはまだ一緒にいてくれるみたいだ。1週間に一度のペースで会ってくれていたけれど、4月からはそれも難しくなるだろうと思うと憂鬱で仕方がない。私も有り余るほどの愛おしさが裏返ってしまって、前はこうしてくれたのに、こういってくれたのに、どうして?と恨めしい気持ちになることが増えた。もう好きじゃない、もう好きな人がいなくても大丈夫、と思うのに、会えばたまらなく好きだと思うし連絡がくると飛び上がるほど嬉しい。強烈なあこがれと、獲得のよろこびと、喪失のおそれは私の執着心と依存心を強固なものにしてしまった。この苦しみから抜け出す方法は、この執着と依存を捨てることだというのは痛いほどわかっている。わかっているのに、どうしてもできずにいるから苦しくてたまらないのだ。きっと自然にすべてのことが運ぶ日がくる。

どうしてそんなにこの人が好きなのか、もはやわからない。恋なんてのは錯覚と思い込みで、好きな人はそういう意味で私に恋はしていない。現実的な要素としてのパートナーを考えているけれど、果たして私はそれにふさわしいのか?と好きな人の中で疑問が生じているのを感じる。私には努力するべきことが山ほどあるのに、心のどこかでありのままを愛してほしいと夢を見ながら、自分を甘やかしてなんとか毎日をやり過ごしている。自分の愚かさ、醜さ、狡さ、怠慢を認めながら、それを自分で赦して完結してしまう。きっと人と深く関わることを望まなければそういう生き方もできるのだろうけど、私はどういうわけかこの人と深く関わることを望んでしまったし、どういうわけか深く関わることができている。向こうから離されない限り、私はその手を離してはいけない。必ず後悔する。

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悪態のいいわけ

f:id:Vanity73:20180924162147j:imageいつも嫌われたくないとばかり思っているのに、どうして自分から嫌われるような行動をとってしまうのだろう。好きな人にとって本当に大切な、私にとっても大切な集まりの席なのに、私は気分が乗らなくて、少しずつ少しずつ悪態をついてしまった。人が10人以上わいわいとお話をしている環境は昔から苦手だけれど、好きな人がいるならそれは別だった。でも、親しくなってからは2人で会うばかりで、集団の中でどんな風に話していたのか分からなくなって、意識すればするほどぎこちなく、半分無視みたいなことをしてしまった。それでも心配して夜に連絡をくれた。余計なことに気を使わせてしまった。私はいつもお話してるから、こういう場では他のところに行ってようって思っていた。でも、ほかの人と楽しそうに話していて、私の知らない時間をたくさん共有してきたことを目の当たりにして、そんなの当然なことなのに、ちょっと悔しくて拗ねてしまった。赤名リカがカンチの故郷の愛媛にどうしても行きたがるのは、きっとこういう気持ちじゃないかな。ぜんぶぜんぶ知りたいよ。

その日はいわゆるPMSで、胸のあたりがずしんと重たくて、正直人と関わっていい日じゃなかった。最初から欠席すべきだったけど、楽しみでもあったから。仕事で疲れたとかなんとかいって、それも事実だけど、本当に嫌な女だったな。昔の恋人にもそれでずいぶんと迷惑をかけた。他の人には大丈夫なのに、恋人には当たり散らしてしまう。どうして恋人にだけこういう態度を取ってしまうのだろう。本当はいちばん駄目なのに。食事も睡眠もいつもどおりなのに、症状は年々悪化している気がする。本気で対策を考えなければと思う。このままでは駄目にしてしまう。いまは本当に憂鬱だけれど、きっとあと少しで少しは回復する。自分ではコントロールできない。そのことにさらに苛々する。そういう症状だと思って受け入れるしかないけれど、辛すぎる。

いまは本当は私に構っている暇はないのに、私は私で、気にしてほしくて、くだらないことばかり。中途半端に気を使おうとしてかえって気を使わせてしまう。そもそも人と関わることに向いていないのだ。だって大事なことが宙に浮いたままだから。本当に一緒に暮らせる?いまは言っちゃだめだと思って流石に言わない。翻訳がうまくいけばエイコともうまくいくと思っていたA君みたいに、私も、9月が過ぎればきっと話が進むと思い込んでいた。でも、本当はそんなことないのだ。むしろ遠のいていくのだ。あのときこう言っていれば?あんなこと言わなければ?でもやっぱり、あのときにはこれしかなかった。最近は『A子さんの恋人』をお守りみたいに持ち歩いて、電車の中などで読んでいる。

今の職場にうつったこと、少しずつ受け入れて、今のところも少しずつ好きになってきていたけど、前の職場の人たちに会ったら、どうして辞めちゃったんだろうってそればっかりになってしまった。どうして私はいまここにいないんだろう。散々考えて、折り合いをつけたはずのことがまたもとに戻ってしまう。残っていたら残っていたで、きっと違う寂しさや苦しさを味わうことにもなったと思うけれど。やり直したいな。どこから?考えても仕方ないし、ましてや泣いても仕方ないけど、仕方ないから泣くのだ。私は、もう人生で複雑な思いを抱えることもなく、淡々と過ごすのだと思いながら大学を出たのに、自業自得でしっちゃかめっちゃかになって、人に寄りかかりすぎてつらくて、でももちろん震えるほどのよろこびもあって、複雑でままならない。そんなの嫌だな。私の人生はもっと単純な感情だけで構成される予定だった。世界も社会も、そう甘くはない。

今、わたしには好きな人がすべてだ。好きな人しかないのだ。好きな人のとなりにいられれば、あとのことはどうでもいい。そのはずなのに、色んなことが気に食わないね。嫌われちゃったかな。嫌われちゃったと思う。次はいつ会えるか、ちょっとわからないから不安だ。今週末に約束できたらいい。フォローっぽいことはしてみたけれど、効果があるかは謎だ。もう二度とこんなことしないから。仕事の愚痴ももう言わないから。嫌なこと言わないから。会ってくれるかな。虫がいいよね。自分ばっかり気を使わせて、それで好きでいてくれって、そんなのは。いまは良くてもいつか駄目になる。どうか嫌われていませんように。喧嘩にでもなればかえってわかりやすいのかもしれないけれど、好きな人は結構色々飲み込んだ上で優しくしてくれるから、たまに不安になる。私もこんなことインターネットに書いてどうかと思うけど、そうするしかわからないのだ。菊地成孔は「何もかも嫌になるらしいけど/それきっと仮病だよ/南の島に行こう/Wi-Fiなくても気絶しないでね」と歌ったな。大好き、辛い、こわい、苦しい、愛してるをずっとループしてる。愛があるから大丈夫?

嫌われていませんように。

週末

f:id:Vanity73:20180919072357j:image3年ほど続けていた日記を全く書かなくなってしまった。書こうと思っても書くことがなくて、ペンを持つ手が止まる。もともとは覚えておきたいことを書くために始めたので、ここ数ヶ月のことは忘れてしまいたいということなのだろう。とはいえ、観たものや読んだものを記録しないと本当に無為な時間ばかりを過ごしているような気がしてやるせない。それほど演劇も映画も観ていないし本も読んでいない。気力もないしお金を使わないようにあまり遊んでいなかったけれど、今週末は少し活発に出歩いたらとても楽しかった。やっぱりそこそこに働いて遊んで暮らしたいな。

f:id:Vanity73:20180916165804j:image14日、世田谷文学館にて「ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ」を見る。大量のジャケットワークスを眺めながら、あれもこれもこの人だったのか、と驚く。やっぱりピチカートファイブのアートワークがすごく格好良くて可愛くてお洒落。格好良くて可愛くてお洒落以上に大事なことなんてないよな、と最近忘れつつあったいままでの自分の価値観を取り戻した。ポップな人生を送りたいものです。どうせいつか死ぬのだから。クレイジーケンバンド「タイガー&ドラゴン」のMVも最高だったな。少し歩いて、千歳烏山の喫茶 宝石箱へ。お店にあった高野文子るきさん』を読みながらチョコレートケーキとクリームソーダ千歳烏山の駅前は賑やかでなんだか楽しかった。普段、京王線には縁がないので来ることもなさそうだけれど、そういう街の風景ほど記憶に残るものだ。たまに見る夢にしか出てこない街は、そういう1度しか行くことのなかった街の記憶がコラージュされているような気がする。乗り換えで改札を出たので少し神保町へ立ち寄る。私が神保町に行くときはいつも閉まっている文化屋雑貨店に今日は入れた。

A子さんの恋人 5巻 (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 5巻 (ハルタコミックス)

 

15日、友人とご飯を食べた。ずっと新宿駅のどこにあるのかわからなかったSuicaペンギン像にやっと謁見できた。神々しい。電車で近藤聡乃『A子さんの恋人』5巻を読む。面白すぎていちど読み終えて何度も読み返した。いよいよ佳境に入っていて、A太郎もA君もぐっと人間くさい一面が見えてきて楽しい。プロポーズが宙に浮いたままのA君にはたまったものではないと思うけれど、読者としては願わくばこの状況と物語に白黒つけないままずっと続いて欲しいと思ってしまう。「白黒付けるのは恐ろしい 切実に生きればこそ」とあの4人が歌ったように、気持ちや関係というのはどうにもままならないものだ。それでも私たちの生きる現実には、仕事であったり結婚であったり、選択を迫られる場面がやって来る。そこに人との関係や感情が絡んでいるものだから、余計にややこしい。こういうややこしさを、スマートな線画と筆致で読ませてくれるの、本当にすごいな。この巻の主役は何と言ってもゆうこちゃんの彼氏ヒロくん。ひねくれているえいこたちに共感しつつ、心のどこかで憧れてしまう明るさと屈託のなさが凝縮されている。極め付けはこの台詞。

A太郎さんもアメリカの彼も

えいこさんが完璧な人だから

好きなんじゃないと思うな。

お互いの悪いところをわかった上で

「ふたりで許し合って生きていきませんか?」って

言ってるんじゃない?

なんかもう読みながらずっとうるうるしてしまう。惑いも迷いも全てひっくるめて、お互いに引き受けながら生きていけたらどんなにいいだろう。

f:id:Vanity73:20180917203235j:image16日、浅草九劇にて東葛スポーツ『カニ工船』を観劇。キレキレで格好良かった。批評性と娯楽がどちらに寄りすぎるでもなくお互いに作用している感じとか、本当に巧いなあと思う。出演者も全員華があってラップもうまくて安心して見ていられる。ロロの板橋駿谷と森本華の安定感。玉田企画の玉田真也がどこまでも玉田さんなのもよかった。ナカゴーの川﨑麻里子は本当にチャーミングで見るたびに好きになってしまう。連休ということもあってか混雑している浅草を少しうろうろして、東京蛍堂を覗いてアンヂェラスでひと休みして帰る。そういえば、行きは東武線が動いていなかったので初めてつくばエクスプレスに乗った。その名前と速さからなんだかもっとシュッとした車体を勝手に想像していたのだけど、普通の在来線の車両でした。

f:id:Vanity73:20180917202959j:image東京ラブストーリー』1話の再放送を観た。ずっちーなあ!最高!!赤名リカ、めちゃめちゃ最高すぎてやばいっす。いま私に必要なのはトレンディドラマだったんだ!坂元裕二が書いていると意識して見ると短い台詞のテンポ感やさりげない言い回しがぽいかな、とも。あの電話をかける仕草で話しかけるやつ私もやりたいんですけど。それから、TVerで『マンハッタンラブストーリー』が配信されていてもう何度も観ているというのに夢中で観てしまう。クドカンドラマの一番のミューズは塚本高史と言っても差し支えないのではないか。宮藤さんのドラマを観ていると、あっちへこっちへふらふらと惑ってしまうことも悪くないように思えるな。

季節

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この台風が去ったらきっと涼しくなる。そんな微かな期待とともにいくつかの台風を見送ってきたが、なかなか涼しくなりきらない。災害レベルとまで言われた真夏のピークと比べれば随分と過ごしやすくなったが、暑さにめっぽう弱い私は秋と冬を今か今かと待ち構える。職場が変わった6月からずっと暑さに滅入っていた気がする。あと少しできっとこの状況も好転する。そんな期待を抱えて揺れ続けるひとりずもうの毎日は相変わらず。仕事には流石に慣れてきて、適当になんとかやっている。入った当初にどうしてあんなに苦しかったのか、自分はいつも過剰に悲観的に物事を捉えすぎるし冷静に周りを見る能力が無さすぎるとも思うけれど、あのときの辛さや苦しさを自分で否定するのはやめようと思う。私が私を肯定しなければ、誰が私を受け入れてくれるというのか。

もともとは自己肯定感と自己愛を自分の中だけで完結させて平和にやっているような人間なのだけれど、一目惚れをして憧れていた人が自分を見てくれたことで、他者に承認されたいという欲求がふつふつ湧き上がってしまった。自分のことを見て欲しい、認めて欲しい、話を聞いて欲しい、わかって欲しい、愛して欲しいって、そう思ってしまうのは仕方がないとも思いつつ、それを他者にぶつけることは暴力に等しいのではないか。私はどこかで、恋人という存在とはそういうものを共有してもいいんじゃないかと思っていたけれど、本当はいちばん駄目な気がする。やっぱり自分の膿は自分で綺麗にするしかない。恋愛っていう、いちばんわかりやすい形で誰かに求められる、という体験は、私のような自意識も自己愛も過剰な人間にはとても危険で、あっという間に依存と執着に変わってしまう。好きな人のことは一年前と変わらずに大好きだけれど、そういう自分の欲求がそれを上回ってしまうことがあって、私はひとりでいらいらして不安になって、色んなことが怖くなる。それはLINEの返事が欲しいとか、そういうとても瑣末でつまらないことでも。少し前にきっと無意識でときおり会話に出す女の子の名前にいらいらして、そんなつまらないことでいらいらする自分にまた腹を立てる。それに気が付いたのか最近では意識して名前を出さないなと感じることもあって、別にその女の子が嫌いなわけでもないし何かあるんじゃないかと思っているわけでもなく、その無意識さの中に見える好意、恋愛感情とは離れたところにある(がしかし、割り切れない)好意が憎らしくて羨ましくてたまらない気持ちになる。それ、私も欲しい。

一年前からもうずっと、私の中でいちばん面白いコンテンツ(という言い方もどうかと思うけれど)が好きな人になってしまって、大好きなテレビも映画も演劇も相変わらず日々の糧ではあるけれど、あらゆる物語よりも面白いものになってしまって、本当に寝ても覚めても(映画観に行きたい)好きな人のことばかりで、病気だ。そんなときにはいつも、ラジオなんかで菊地成孔の言う「恋をしている人は全員頭がおかしい状態」「狂っていなければ恋愛なんてできない」という旨の言葉を思い出して、自分を正当化してしまっている。菊地さんの音楽とラジオを聞いているときがいちばん心が落ち着いていて、なおかつSPANK HAPPYには胸がときめいて、なんだかんだでいちばんヘルシーなところに到達している気がする。

今年の夏はSPANK HAPPYのライブを一度も見れなかったことが心残りで、涼しくなったらドレスアップして踊りに行きたいので、次はもう少し広いところでワンマンライブをやって欲しい。5月のGREAT HOLIDAY以降ライブは見れていないものの、インタビューやInstagramが充実して供給されるのでとてもありがたい。ラジオでも音源を聞くことのできた新曲群はどれもよくて、中でも「エイリアンセックスフレンド」が好きだ。

 

SPANK HAPPY (official)さん(@spank_happy)がシェアした投稿 -

 

おはよう

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好きな人への依存をどうやったら止められるのか、「依存 解消 方法」で検索すれば分かるだろうか。もし私がふっといなくなって、寂しいとか悲しいとか思ってくれるなら、それで満足できるかもなんて思うけど、後悔するのはわかってるから、今はやめとく。ただ同じ時間を過ごしたいだけなのにね。だから一緒に暮らしたいだけなのにね。なかなか上手にいかないね。ちゃんと愛されてると思う。でも、私はばかだったね。疲れちゃったね。

 

いつか結構本気で

ジェラシーや心配してくれる?

お似合いのスーツ着ててね

あたしの淋しい

エイリアンエイリアンセックスフレンド

 

SPANK  HAPPY 「エイリアンセックスフレンド」

予期せぬ

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毎日信じられないほどに暑く、退屈で、虚しくて、寂しいが、夕方には空がVIDEOTAPEMUSIC『ON THE AIR』のジャケットみたいな色をしている日もあって、そういう束の間の美しさをかきあつめるようにしてなんとか過ごしている。遊びにでかけたいけれど、あまりの暑さに家から出られない。好きな人と暮らすための家探しがなかなか進まないことにやきもきして普段ならブログに書いて気を鎮めているようなことを直接LINEしてしまって後悔したり、今の職場の愚痴ばかり話して自分の醜さをどんどん晒してしまっていることに落胆したり、いろんなことがうまくいかない。好きな人への執着も見抜かれていて、やんわりと距離を取られているような気がしていてもたってもいられない気持ちになるけれど、何もできず、寂しさと虚しさを抱えて、毎日をやりすごしている。当然のことだけれどわたしたちは別々の人間で、別々の人生を生きながら、ふと交差した時間を共有しているに過ぎない。その時間のはかりしれない尊さを守るために、お互いを尊重しなければならないのに、わたしときたら。わたしは好きな人と同化したがる欲求を持っているようで、好きな人の好きなものは当然のように好きだし、髪型や服装を真似してみたくなったり、好きな人の過ごす時間を追体験したい。きみになりたい。

これまでの人生を振り返ってみると、大切なものはすべてふとした瞬間に与えられてきた。何かが欲しくて欲しくてたまらないときには何も手に入らず、とくに意識もせず望んでもいなかったタイミングでもたらされるものを愛してきたように思う。それは例えば、お気に入りのワンピースから、時間、人との出会いまですべて。退屈でたまらなく刺激が欲しい時には、何を見ても、何を聞いても、どこへ行っても退屈で、なにも愛せない。思えば、就職活動に失敗して何かを期待することもなく赴いたアルバイト先で、好きな人との出会いがもたらされ、本当に楽しい時間を過ごした。

自分にふさわしいと思えた場所を手放して、好きな人とのつながりを強固にすることを目論んで職場を移った私の行いは間違いだったのだろうか。流れに身を任せてきたこれまでの人生の中で、今回は自ら力ずくでハンドルを切ったような感覚がある。自らをそそのかして履歴書に書いた転居の予定ありという小さな博打に、自ら苦しめられていて、いわゆる悪魔の囁きだったのかもしれない。今の職場は最初に放置されていた数時間の印象が強すぎて絶対に心を開いてなるものかという意地をはっている部分もあって、本当はそこまで悪くないことにも薄々気付いているのだけれど、辞めちゃおうかなともちょっと思ったりする。

今の状況も、この機会もすべて与えられたものだと思いたい。与えられたものを喜んで受け取り、全うしたい。