ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

予期せぬ

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毎日信じられないほどに暑く、退屈で、虚しくて、寂しいが、夕方には空がVIDEOTAPEMUSIC『ON THE AIR』のジャケットみたいな色をしている日もあって、そういう束の間の美しさをかきあつめるようにしてなんとか過ごしている。遊びにでかけたいけれど、あまりの暑さに家から出られない。好きな人と暮らすための家探しがなかなか進まないことにやきもきして普段ならブログに書いて気を鎮めているようなことを直接LINEしてしまって後悔したり、今の職場の愚痴ばかり話して自分の醜さをどんどん晒してしまっていることに落胆したり、いろんなことがうまくいかない。好きな人への執着も見抜かれていて、やんわりと距離を取られているような気がしていてもたってもいられない気持ちになるけれど、何もできず、寂しさと虚しさを抱えて、毎日をやりすごしている。当然のことだけれどわたしたちは別々の人間で、別々の人生を生きながら、ふと交差した時間を共有しているに過ぎない。その時間のはかりしれない尊さを守るために、お互いを尊重しなければならないのに、わたしときたら。わたしは好きな人と同化したがる欲求を持っているようで、好きな人の好きなものは当然のように好きだし、髪型や服装を真似してみたくなったり、好きな人の過ごす時間を追体験したい。きみになりたい。

これまでの人生を振り返ってみると、大切なものはすべてふとした瞬間に与えられてきた。何かが欲しくて欲しくてたまらないときには何も手に入らず、とくに意識もせず望んでもいなかったタイミングでもたらされるものを愛してきたように思う。それは例えば、お気に入りのワンピースから、時間、人との出会いまですべて。退屈でたまらなく刺激が欲しい時には、何を見ても、何を聞いても、どこへ行っても退屈で、なにも愛せない。思えば、就職活動に失敗して何かを期待することもなく赴いたアルバイト先で、好きな人との出会いがもたらされ、本当に楽しい時間を過ごした。

自分にふさわしいと思えた場所を手放して、好きな人とのつながりを強固にすることを目論んで職場を移った私の行いは間違いだったのだろうか。流れに身を任せてきたこれまでの人生の中で、今回は自ら力ずくでハンドルを切ったような感覚がある。自らをそそのかして履歴書に書いた転居の予定ありという小さな博打に、自ら苦しめられていて、いわゆる悪魔の囁きだったのかもしれない。今の職場は最初に放置されていた数時間の印象が強すぎて絶対に心を開いてなるものかという意地をはっている部分もあって、本当はそこまで悪くないことにも薄々気付いているのだけれど、辞めちゃおうかなともちょっと思ったりする。

今の状況も、この機会もすべて与えられたものだと思いたい。与えられたものを喜んで受け取り、全うしたい。