ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

強欲、副作用

f:id:Vanity73:20191023230437j:image筋トレ系の雑誌に載っていた、皮の代わりに薄切りの大根でタネを包んだ大根餃子と、鶏もも肉の紅茶煮を作ったら思いのほか美味しくできて嬉しくなって、珍しく料理に関心が向いている。ほうれん草をミキサーにかけて、別の日に作っていたトマトスープ、カレー粉と一緒に鶏肉を煮込んでカレーを作ったらそれなりにそれっぽい料理ができて満更でもない。煮込みや漬け込み系の料理は、待っている間にどんな味になるだろう?というわくわく感があっていいな。しかし、塩や醤油は控えめにしているつもりでもなんだかしょっぱくなってしまう。数日前、やばいぞと思いつつ止められずにお菓子をやけ食いしてからというもの、平均19%だった体脂肪率が25%に跳ね上がって戻らず、体組成計に乗るたびに凹んでいるので本格的に食生活を改善したいのだが、なかなかうまくいかない。

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

 

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』を読んだ。人生のどうしようもない困難さと、ときおり光さす瞬間がいままでに読んだことのない美しさでスケッチされていて圧倒される。題材のほとんどがルシアの人生に基づいていて、彼女は事実を捏造するのではなく変容させながら小説にしていたらしい。事実を物語ることは、本人にとってもそれを読む人にとってもセラピー的な作用がある。物語ることでわたしたちは生き延びる。その極北のようなひとだと思った。なかでもかつての夫と子供たちとの思い出を描いた「ソー・ロング」が幸せなのに、幸せだからこそ切なくて好きだ。主人公がかつてバカンス中に出会った新婚夫婦と語り合う場面での一節が大好き。

彼女のそれまでの人生は毎日毎日退屈なレコードの繰り返しのようだったが、あっという間にレコードがひっくりかえされて音楽が始まった。マックスがそれを聞いて、わたしに向かってほほえみかけた。ほらね、愛する人、僕らはいまB面なんだ。 

 

-ルシア・ベルリン「ソー・ロング」

そして、年をとり病床の妹を看病しながら、これまでの人生の怒りと憎しみを手放していく過程が美しい。愛も憎悪も慈しみも苦しみも、すべての言葉が有機的につながっている一冊なのでこういう切り取り方は好ましくないと思いつつ、覚書として。

愛はもうわたしにとっては謎ではなくなった。

 

-ルシア・ベルリン「ソー・ロング」

ため息が出るほど格好いい。最近ずっと聴いているFINAL SPANK HAPPYの名曲「mint exorcist」とも似たフィーリングがあります。

誰もが醜い 誰もが可愛い ネガティブ ジェラシー 切ない 嬉しい

 

-FINAL SPANK HAPPY「mint exorcist」

f:id:Vanity73:20191024213701j:image10月24日、タカセグリルでポークカツレツを食べる。平日の夕方のタカセはいつも人がまばらで、窓から見える池袋の喧騒からぽっかりと浮いているみたいで大好き。1階のお菓子売り場も知らない田舎の町に迷い込んだみたいな気分になる。今の仕事を辞めたらタカセで働きたいな、と思った。あうるすぽっとエレキコミック第29回発表会『Ron Ron Marron Queen』を見る。今回はYes-man解散のVTRもあったせいか、爆発的なネタよりもしんみりするネタが多いように感じた。でもやっぱりその場でしか起こらない笑いとか文脈のないおかしさがエレキの持ち味で、そこは相変わらずくだらなくて最高だったな。エレキみたいにいくつになってもうんこミュージアムではしゃげる大人になりたい。

f:id:Vanity73:20191031224253j:image10月31日、渋谷からなるべく交差点を通らないように松濤へ抜けてガレットリアでガレットを食べる。ダイエット中といいながらしっかりとデザートのクレープまで食べてしまった。美味しかった。そこからさらに歩いて、こまばアゴラ劇場今泉力哉と玉田企画『街の下で』を観る。笑ったし面白かったけれど、こういうメタや入れ子構造をこのふたりがいまやる意味をあまり感じられなかった。いちばんの感想は、川崎麻里子さんがいつも最高で大好きということです。どうしても乗り換えで渋谷に降りざるを得ないので渋谷まで歩き、マークシティから半蔵門線へ向かうためハロウィンの喧騒に揉まれる。

f:id:Vanity73:20191101181824j:image11月1日、駅の駐輪場にいつもいる猫がいつになくくつろいでいて可愛かった。好きな人とご飯を食べて美術館へ行った。もともと2ヶ月くらいに自分から話を振って、向こうから誘いがきたら断ってやろうと思っていたのにのこのこ会いに行ってしまった。ご飯とケーキを食べながら、歩きながら、お互いの近況や他愛のない話をして、国立新美術館カルティエの宝石を「これ何の石?」とか言いながら見て回って、しっかりはしゃいでしまった。来月の頭にまたカフェにでも行こうと言われて、うんと答えて別れる。一緒にいる間は私もとても機嫌が良くて楽しくお話できるけど、ひとりになった途端にひとにぎりの愛おしさと寂しさと憤りと苛立ちで身体が痺れてしまう。目の前にいるとやっぱり大好きだし楽しいのだけれど、そのぶん離れたときの副作用があまりにも大きい。この恋は精神的にも身体的にも負担が大きすぎる。ご飯を食べながら、この先の展望みたいなことをちらっと話していたのだけれど、そこに私はいるのかいないのか、向こうも私の仕事などについて探るような感じもあって、思い返してはもやもやしてしまう。私がいま勤めている場所について、自分は関わりがないみたいなスタンスをとっていることにも腹が立つ。好きな人はどんな形でも子どもを育てたり関わったりしたいみたいで、私は子どもを持つつもりはないので、そこが一致しないならやっぱり諦めるしかないかな、とも思う。私は好きな人にただ一緒にいて欲しいだけだけれど、向こうは現実的なパートナーとしての資質を私に見い出せなくなったということだと解釈しているので、なんというか、そもそもの価値観や考え方が違うのだしこの時点で私たちの関係は終わっているのだけれど。好きってどうしたらいい?私のミントエクソシストはどこだ。翌朝、目が覚めると最近は消えていた好きな人への会いたさでいっぱいになってしまったけれどジムへ行って走って気持ちを吹き飛ばす。

f:id:Vanity73:20191103202628j:image11月3日、無料開放されていた東京国立近代美術館で『窓展 窓をめぐるアートと建築の旅』とコレクション展を流し見する。窓展、画角としての窓の役割や、外界とのつながり、あるいは断絶、など興味深い構成になっていた。無料開放なのでわかってはいたけれど、人が多くてゆっくり見る気にはなれずさらっと出てしまったのでまた見に行きたい。神保町まで歩いて古本まつりを流し見。お祭りっぽいものに行きたくなる反面、喫茶店に列ができているのを見たりすると普通に平日にくればいいやと気が萎えてしまう。やっぱり土日休みの仕事より今みたいなシフト制の仕事を探そうかなあとぼんやり考えたりした。下北沢へ移動して、古着屋をいくつかのぞく。FINAL SPANK HAPPYのODが被っているような、黒いフライトキャップを探しているのだけどなかなか巡り合えない。週末にしか開いていない雑貨屋、碧鳥にようやく行くことができた。古いブラウン管やオーディオ、青いカーペットに胸が高鳴る。そして本日のメインイベント、下北沢GARDENにてOnly Love Hurts a.k.a. 面影ラッキーホール 天国まであと数回の夜へ。3日前に出演が決まったという女の子ふたりのボーカルユニットWay Wave、ソウルフルで良かった。O.L.H.が提供した「会いたいの会いたいの飛んでいけ」、タイトルからして天才すぎてO.L.H.の新曲は長いこと出してないけど衰えてないなと思う。O.L.H.のライブ、「いっちまったら」とか珍しめの曲も交えつつ、ackyのMCも含めて相変わらず倫理観を試されるライブだった。