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私事で恐縮です。

マージナル

f:id:Vanity73:20210213182209j:plain空気階段第四回単独公演『anna』を配信で見た。キングオブコントネタ番組Youtubeにアップされているコントを単発で見たことはあっても、こうして一本の単独公演を見るのははじめて。改めて空気階段の作る世界の切実さやそれを下支えする演技の巧みさを痛感する傑作だった。何よりも胸を打たれたのは、キャラクターを描くために費やされるディティールと時間の豊かさ。リハーサルで3時間を超えた公演時間を削って削って2時間10分まで縮めたという最終日においても、笑いの数や大きさよりもその世界に生きる人を描くことにこだわっていることが感じられた。自作の特撮漫画を再現するコンセプトカフェでたどたどしく解説する店主(鈴木もぐら)と、それを面白がる客(水川かたまり)のコントが、彼らがラジオで培ってきた「じゃない人」を嘲笑ではなく面白がって受け入れる姿勢そのものでとても良かった。すべての愛すべき欠けた人たちが結実していくフィナーレのコントも言うまでもなく素晴らしく、空気階段がいることに勝手に勇気をもらってしまう。来年は絶対に劇場で見たい。

大阪

大阪

 

岸政彦と柴崎友香の共著『大阪』を読んだ。ふたりが街とそこに生きる人々について書き続ける理由が詰まっていて、どちらも好きな書き手なので当然のように面白かった。柴崎さんは小説ばかりでエッセイを読んだことがなかったので自身について書かれているのを読んではじめてその出自や感情の在り方に触れて、以下の一文に胸を打たれる。

街が助けてくれたから、わたしは街を書いている。

柴崎友香環状線はオレンジ、バスは緑、それから自転車」

また、岸さんが知らない街の路地裏の風景に憧れる感覚について書いた「散歩は終わらない」という章も興味深かった。人々の人生が折り重なった街のなかで、私自身の人生をふと離れて他者に憧れる感覚。誰かと関わること、集団の中で生きることに疲れを感じながらも、誰かが暮らしていることの息遣いとその集積に胸を打たれる。

岸さんと柴崎さんの描く「大阪」とその街に対する愛着に対する羨ましさも感じた。以前読んだ平民金子『ごろごろ、神戸』で綴られる平民さんの生活と神戸の街にも強烈な憧れを抱いた。私は埼玉県の、とりたてて特徴のないところで生まれ育ったので、土地に対する愛着が薄い。この感覚を見事に言い表した文章が町屋良平「生きるからだ」(『愛が嫌い』収録)に出てくる。

愛が嫌い

愛が嫌い

 

かれにはまだそうした人生の、生きるという行為の語りえない部分がよほどすくないという自覚があった。自分が幼少から青年期までを過ごした土地に憩って、わざわざ髪をきりにいくたびに越谷に帰郷しているが、そのじつたった三十分でどこへでもいけてしまうような「県境」というべきアイデンティティのなさが、いわゆる埼玉県的な価値観の源泉である。埼玉に自分を語らせることはないが、語るべき自分は埼玉にあった。

町屋良平「生きるからだ」

このあとに続く街の描写もこの上なくこの街の、特徴のないことが特徴とでも言うべきところを言い表していて感動した。この語りえなさが、そのまま主人公のもつ空虚さとつながっていて、まるで自分のことのようだった。読み始めてから自分にも馴染みのある地名が登場して驚き、調べてみると出身校は違ったが学生時代を同じ町で過ごしていたことを知る。

土地と記憶にまつわる本だと、岸本佐知子『死ぬまでに生きたい海』も面白かった。低温のユーモアと、的確な描写力がとにかく読ませる。極私的な記憶でありつつも、土地の記憶とあわさることで普遍性をもつのが面白い。知っている場所であれば自分の記憶が呼び起こされるし、行ったことのない知らない場所に対しては『大阪』で岸さんが書いていたような憧れの気持ちを抱くこともある。そして何よりこの一節。

この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。

岸本佐知子丹波篠山」

死ぬまでに行きたい海

死ぬまでに行きたい海

 

f:id:Vanity73:20210224160115j:plain4月から新しい職場に転職するのだが、電車で2時間かかる場所になるので実家を出て転居することにした。内定通知が届いた1月から好きな人と物件を探し始めて、ここだと思える部屋に巡り合い、今週末、不動産屋での契約をもって正式に転居が決まる。前もって契約金も振り込んであるのだけれど、未だ実感が湧かない。それは念願だった好きな人と暮らせることや、4月から新しい職場と部屋で生活がはじまること、これからは自分たちで家賃や生活費を払って生きていくこと、あらゆることに対する実感。契約金を振り込むときに、いままでで一番大きな買い物だなと思ったけれど、全身脱毛のほうが若干高かった。PASMOにいちどに一万円チャージできるようになったときにいちばん大人になったと感じたけれど、電気やガス、インターネット、自分で決めることがたくさんあって、私は本当に大人になれるのだろうかと不安になる。けれど、きっと大丈夫と思える。

f:id:Vanity73:20210201160526j:plain次の仕事が決まり引っ越しが控えていることもあり、2月中旬で約2年半勤めた職場を退職し、いまは束の間の無職期間を満喫している。この貴重なひと月半を1日たりとも無駄にしない、と意気込んで毎日何かしらの些細な予定を作るようにしている。スニーカーを洗うとか、塩豚を仕込んで何日後にスープを作るとか、この本を読み終えるとか、そういう本当に小さなことばかりを積み重ねていくとそれなりに楽しい。明日は豆乳とにがりでおぼろ豆腐を作る予定がある。そこにひきわり納豆と春菊を炒めたそぼろをのせて食べたらきっと美味しいんじゃないかと思う。

f:id:Vanity73:20210225223159j:plain急にやってきた春のようなあたたかい日には、自転車に乗って降りたことのない近くの駅まで行ってみたりもした。とても気持ち良かったけれど、大量の花粉を吸いこんだ。薬が効いている間は鼻水やくしゃみも止まるけれど、切れると途端に鼻から喉にかけて腫れてかゆくなるのがわかる。不可抗力のぼんやりはもはや春の風物詩で、いちばん季節の巡りを感じるのはこのときかもしれない。新しい生活と仕事がはじまってからも、些細なことをひとつひとつ感じ取れるだけの体力と気持ちを保っていたい。


カネコアヤノ『やさしい生活』