ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

よすが

f:id:Vanity73:20210516120112j:image休みの日にも朝の5時に起きる生活が定着してきた。自ずと夜も早く寝るので、起きるというより目が覚めてしまうのだ。朝が早いと一日が長い。掃除や洗濯を片付けて朝食を食べてもまだ7時か8時。天気がいい日は家にいるのが勿体ない気分になって、車に乗って出かける。実家が車を買い替えて、もともと自分もよく乗っていた軽自動車を譲り受けたのだ。引っ越してからひと月は自転車で近所を乗り回していたのだけれど、車があれば1時間もかからずに横浜市街へ行けるようになった。午前中の人が少ない野毛や伊勢佐木町を散歩したり、本牧から山手の公園を渡り歩いたり、なるべく人混みを避けて気分転換をしている。あまりにも暑いのでコンビニでアイスを買って食べたりして。

f:id:Vanity73:20210516120136j:imageお昼過ぎには帰宅して、ほかにすることもないので料理にとりかかる。休みの日の定番は塩と砂糖に漬けておいた鶏むね肉をゆでて、ゆで汁で小さめの新玉ねぎを煮込んで野菜スープを作る。1日目はそのまま野菜スープ、2日目は味噌汁に、3日目は豆乳と味噌、と作り置きのスープがあるだけで平日の夕食が充実する。傷み始めたキャベツやにんじんも細かく刻んで、トマト缶と一緒に鍋に突っ込んで煮込めば充分食べられるし、スパイスを加えればカレーっぽくもなる。サラダチキン本体よりもスープのために鶏をゆでているようなものだ。通勤中は大抵、こんな風にご飯のことを考えている。平日は蒸籠で蒸した野菜がメインでさっぱりとした食事をしているのだけれど、ふと、白菜と春菊と椎茸があるからすき焼き風の味付けにしよう、と思いついたときは夕食が楽しみで1日中わくわくしていた。

f:id:Vanity73:20210516120244j:image仕事はいまのところ「行きたくないな」と思う朝がなくて、ありがたいことだ。研修を終えて、細々とした仕事をしているうちに気が付けば1日が終わっている。とは言え、できることはまだ少ないので暇だな、というか張り合いがないなと思ってしまう瞬間もある。入ってすぐは、自分がどこまで手を出していい領分なのかがわからなくて、もっと積極的になったほうがいいのか、声をかけるとかえって先輩の仕事を増やしてしまうのではないか、とうじうじしてしまうのが常だ。責任も少なく、こんなに気楽でいられるのもきっと今のうちなので、つかの間の新人期間を満喫することにしている。

f:id:Vanity73:20210516120325j:image仕事にも生活にも大きなストレスを感じることなく、あまりにも穏やかな毎日なので、何か重大なことを置き去りにしているのではないかという不安がいつもどこかにある。一緒に暮らす予定だった、休養中のパートナーからは数日おきにぽつぽつと連絡が来て、他愛のない近況をやり取りしている。本当はもっとこちらから連絡を取ったり、会いに行ったり、できることがあるのではないかと思うけれど、私の存在がいちばんのプレッシャーになってしまうのではないかという懸念があって、何もできずにいる。それを言い訳に責任を放棄しているような後ろめたさがあって、それをかき消すように生活に没頭している節もある。

f:id:Vanity73:20210516120447j:imageそんなこともあって、他者とのかかわり、ことに恋愛や生活を共にする関係についてずっと考えていて、宮野真生子さんの『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』はまさに今の自分に必要な本だった。この本で紹介されている有島武郎の『惜しみなく愛は奪う』のような、相手のことを自己に取り込むような関係性の築き方を自分はしてきていた。ようやくそこから脱却できそうだと思っていたところに、パートナーのことがあって、不安定性の中で自己と他者との関係を築くことについて沢山のヒントがあった。宮野さんは、以前読んだ磯野真穂さんとの『急に具合が悪くなる』でも力強い言葉が印象的だった。

 約束とは、そうした死の可能性や無責任さを含んだうえで、本来取れるはずのない「決定的態度」を「それでも」取ろうとすることであり、こうした無謀な冒険、賭けを目の前の相手に対して、「今」表明することに意味があるのだろうと。

あなたがいるからこそ、いつ死ぬか分からない私は、約束という賭けをおこない、そのわからない現実に向けて冒険をしてゆく。あなたがいるからこそ決めたのだという、「今」の決断こそ「約束」の要点なのだろうと。だとしたら、信頼とは未来に向けてのものである以上に、今の目の前のあなたへの信であると言えそうです。

 

宮野真紀子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』

急に具合が悪くなる

急に具合が悪くなる

 

f:id:Vanity73:20210516120545j:imageこれに関連してという訳ではないのだけれど、 とわ子の友人・かごめの存在がクローズアップされた4話から『大豆田とわ子と三人の元夫』がぐっとギアを上げて面白くなった。結婚・離婚をテーマにしているから、男女間の恋愛を前提に進んでいくのはまあいいとしても、とわ子のいう「幸せ」が「結婚」とイコールのまま進んでいってしまうのだろうか、という懸念が吹き飛んだ。恋愛を望まないかごめと、とわ子とのシスターフッドとも呼べる家族のような関係性がとても良くて、より複雑な人と人との関わり合いを見せてくれそうで毎週楽しみ。恋人じゃなくて、片方がひっこんでしまったパーカーのひもを、「後で直してあげるよ」と言ってくれる人、あるいは言ってあげられる人を私は求めている。テレビドラマは大豆田とわ子と、『今ここにある危機とぼくの好感度について』と『コントが始まる』を見ている。コントが始まるは、生っぽい映像の質感も相まって、若者とはいえない年齢に進んでいくキャラクターたちの切実さがにじみ出ているのがいい。マクベスが絶妙に売れなさそうなのもいい。この生っぽさとは対照的に、今ここにある危機と~は、戯画化された「何も言わない」主人公やことなかれ主義の大学幹部たちが、コミカルであればあるほどに現実を省みさせる強度がある。

f:id:Vanity73:20210516120647j:image毎日順調に進んでいるので、そのうちに何か落とし穴に落ちるのではないかと内心おびえている。そういう性分なのだ。しかし、失くしたと思って焦った保険証はコンビニで保管されていたし、落としたと思った指輪は車にあったし、この先もなるべく何事も起こりませんようにと祈る毎日だ。無神経なところがあるから、自分の快適さの裏で誰かを不快にしていないだろうかと省みることも忘れないようにしたい。車や自転車の事故に気を付けて、体調を崩さないように、家族や友人たちも息災でありますように。私は果たして不測の事態に対応できるだけの冷静さと判断能力を持っているだろうか。常に私が私にとっていちばん頼れる存在でいることができますように。