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私事で恐縮です。

映画『この世界の片隅に』

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こうの史代の同名漫画を片渕須直が映画化した『この世界の片隅に』を観ました。私がこの作品を知ったきっかけは、「のん」と名前を改めた能年玲奈が主演声優をつとめるというニュースです。映画が始まってすぐは、「ああ、のんちゃんの声だ」と感じ入っていたのですが、小さなすずさんが海苔を背負う仕草や、かじかむ手に息を吐き鉛筆を削る仕草など、ひとつひとつの動作が丁寧に描かれている姿を観ているうちに、聞こえてくる声はすずさんの声以外の何物でもなくなっていった。堅実に描かれた広島の街並みに、すずさんという人物が確かに存在しているのだ。井戸で水を汲む、野草を摘んでご飯を作る、着物をもんぺに作りかえる、畑から軍艦を眺める、道に迷う、絵を描く、周作さんと口づけをする、喧嘩をする、防空壕へ避難する...すべてのことが同一線上に並んでいる。ぼーっとしているすずさんがバケツを人にぶつけまくったり、お砂糖を蟻から守ろうとして水に沈めちゃったり、ハゲがばれないように周作さんの手を振り払ったりする日常の一幕がどれもチャーミングで愛おしい。「戦時下の人々」を描いているというよりも、ひとりひとりの暮らしに戦争が訪れ、色々なものが失われながらも暮らしを守り続ける様子を、綿密な時代考証のうえで堅実に描ききっている映画だと思いました。「戦時下の人々」にはひとりひとりに名前があり、暮らしがあるということを、はっきりとした感覚で得ることができる。黒い布を外したランプから漏れる家々の灯りの風景も忘れがたいシーンのひとつだ。

そして、すずさんが右手を動かすと線が引かれ、筆を置けば色がつくという一連のアニメーションもそれだけで素晴らしく、単純に映像を観るよろこびが詰まった映画でもある。色の付いた煙と絵の具を打ち付ける筆が混ざり合う空襲のシーンや、すずさんが右手と晴美さんを失った瞬間のアニメーションは胸に迫るものがあった。辛くて仕方がないのだけど、暮らしは続いて、そこには笑いも生まれるという感慨にそっと寄り添うのがコトリンゴの歌う「悲しくてやりきれない」だ。オープニングで流れるのだけど、観終わったあとに聞き返すと、これほど映画のムードに寄り添う音楽もないな、というくらい素晴らしい。

一本の映画を観たという以上にすずさんの暮らしを体験したという感覚に近く、数々のシーンを思い返すとなんだかずっと前から知っていたような気分にさえなる。呉の街を、あの人たちのことを私は知っている。なんて幸福な体験だろうと思う。私は原作を読まずにストーリーを知らない状態で観たので、後半の展開に涙が止まらなくなってしまって、見逃している細かい箇所が山ほどありそうなのでまた観に行きたい。好きなシーンやすずさんを演じたのんちゃんの声のここが最高、みたいなのも沢山あるんですけど、ひとつ挙げるならば、おばあちゃんの家で天井から現れた子のためにすいかを貰ってくるときの小声での「おばあちゃーん」でしょうか。「あちゃー」といったおっとりした場面から、強い意思を感じさせる場面まで、どこを取っても素晴らしくてのんちゃんはやっぱり凄い女優さんだと胸がいっぱいになりました。のんちゃんが主演じゃなかったら、私はこの映画を観ないままだったかも知れない。そう思うとぞっとする。

 

鑑賞後すぐに原作の漫画を購入して読みました。前述のすずさんが海苔を背負うシーンなど、漫画でも丁寧に描かれた動作がアニメーションになっていたのだなあという感動と同時に、とても自由な画面構成や筆触で描かれていることに驚く。なんというか、漫画全体がチャーミングで可愛らしい。映画関連のインタビューや記事でこうのさんが色々な方法・技法(紅や左手で描いた風景など)でこの漫画を描かれたことを知りました。楠公飯のシーンとかとても好きだ。映画ではリンさんとのエピソードはニュアンスは少し残しつつも大幅にカットされていて原作を読んでこれもまた驚いたのですが、確かに映画で描かれていたらキャパオーバーで受け止めきれなかったかも知れないな。沢山の注釈や参考文献が記載されていて重厚な読み応えがあるのだけれども、パラパラとめくって好きなところから読み返せるような親しみも持ち合わせていて、この先ずっと読んでいく漫画なんだろうなと思う。