ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

永遠の無駄話

f:id:Vanity73:20230521133331j:image自転車で通勤していると、ちらほらと立葵の花が開きはじめていることに気がつく。朝顔に似ているから、真夏の植物という印象が強いけれど初夏が盛りなのだなと毎年思う。日に日に茎を伸ばしてたくさんの花をつける姿が夏の騒がしさを思わせる。栗の花の香りも漂いはじめた。勢いづいて萌える草木とともに、仕事も忙しさを増して目まぐるしい。

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昨年まではそんなこともなかったのだけど、ここ2週ほど続けて家に持ち帰って仕事をしている。自宅のノートPCはスペックも低くすべての資料を参照できるわけでもないので効率は低いが、多少は平日の業務の助けになっている。現状が苦痛かというと、案外と楽しく、好きでやっているという感覚のほうが強くて、自分でもこれが正しいとは思わない。でも、学生の頃から就きたかった職業に正規で職を得て、毎日忙しくしていることが嬉しい。それに休日は時間を持て余していて、いつも通り映画も見ているし、古本屋や喫茶店に出かける余裕もある。それでも休日は長いと感じる。

f:id:Vanity73:20230521134045j:image子どもの頃から自分は人見知りだということを盾にしてコミュニケーションを怠ってきた人間なので自分に期待するハードルが著しく低く、いま職場で業務に必要なやり取りをしたり、まして楽しく談笑したりしている自分がどこか他人のように思える。他者から見れば拙いことは承知の上で、よくやってるじゃん、なんて思う。恵まれた環境だからこそ、と調子に乗らないように自分を戒める。

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好きな映画や音楽の話をできる人もいて、おしゃべりできると嬉しい。もっとたくさんその人の好きなものや見てきたもの、考えていることを知りたいと思う反面、仕事の束の間だからこそ楽しいのかもしれないと思う。そして自分の話を聞いてもらえて、私の生活にはほとんどないことなので舞い上がっているのも感じる。とても危ない。自分のことを特定の相手に知ってもらいたい、聞いてもらいたいという欲求を持つことが、それを実行してしまうことがこわい。誰かの話を聞くことも、自分の話をすることも、すべて一方通行のままがいい。可視化されない交歓だけで満足したい。

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昔からほぼ無意識に公私をきっぱりと分けるタイプで、自分ひとりの時間や空間を守るようなところがある。それが、職場で対外的なコミュニケーションの域を超えた趣味の話をしたり、家で仕事をしたりしていると、その境目がどんどんなくなってきて、いままでどこか違う人間のように分たれてきた外と中の自分が、ひとりの人間として存在していることに微かな違和感を覚える。それは外で自分の話をしてしまうことが嫌なのではなくて、むしろ、それが楽しいと、他者とつながることのよろこびを知ってしまうことがこわい。それはどうしたって永遠ではないから。

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忙しいと言ったけれど、こんな暗くて仕様のないことを考える暇も体力もある。やるべき仕事と毎日の生活があり、気力も体力もある。ここ2ヶ月は体重が40kgを超えて戻らず悶々としてはいるけれど、それも仕事をしている間は忘れている。ごはんも美味しい。好き勝手に遊びすぎて貯金が目減りしていて焦ったりしているけれど切羽詰まってはいない。これまで生きてきた中でいまがいちばん穏やかで楽しくて幸せで、死ぬならいまだなと思う。死ぬ、というか、この状態のまま霧のように消えていけたら、と思う。でも悲しいかな私は肉体を持つ人間だから、今日も動いて食べる。明日の服と献立を決める。仕事の段取りも考える。そしてこの日々がすこしでも長く続きますようにと祈りながら眠る。