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私事で恐縮です。

メモランダム

f:id:Vanity73:20221016173441j:imageNetflixに追加されていて、『花束みたいな恋をした』を観た。坂元裕二作品が好きだというのに、公開時がコロナ禍と重なり劇場に足を運ぶタイミングを逃し、ふんわりと聞こえてくる評判にもさして心惹かれず、なんとなく観ないままになっていたので、ついに、といったところ。思っていたよりもずっと良くて、坂元裕二の書く、どこにも帰結しない会話がとても好きだと再確認した。先日まで放送していたドラマ『初恋の悪魔』は、見方や面白がり方を掴めないまま終わってしまったので、こうしたシンプルな作品に触れられたのも嬉しい。クライマックスに登場する、清原果耶と細田佳央太のキャスティングがニクい。特に細田佳央太は『町田くんの世界』『子供はわかってあげない』という最高の青春映画の主演で、私にとってまさにいまの青春そのものみたいな男の子なので、とても眩しい。それなのに下の名前の読み方を永遠に覚えられる気がしない。

f:id:Vanity73:20221016173536j:image固有名詞の乱れうちにもまんまとうずうずさせられてしまったが、一番印象的なのはTBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波』。というのも、坂元裕二が一時Instagramのストーリーにイラストを投稿していて、その中に菊地成孔の入れ墨を中心にしたスケッチと、

粋な夜電波終わって、もう一年経とうとしてるじゃないですか。気がつけばもう、なんてこと全然なくて、宙ぶらりんのままの一年ですよね。ずっと待ってるんですけどね。

という文を添えた投稿があり、それを見た当時は坂元さんも聞いてたんだなあなんて嬉しく思っていたんだけど、それは執筆中にイラストレーターを目指す麦と同じようにイラストを描いていたということを後から知り、それが完全な坂元さん自身の趣味ではないことをどこか寂しく思ったのだった。

余談だけれど、番組の終了、事実上の打ち切りが決まったときに菊地さんがBureau KikuchiのTwitterアカウントからポストした文章が好きでスクショもしてあって、折に触れて思い出す。思い出しついでに書いておこう。

自由に生きましょう。我々には、その権利がある。楽しんで生きましょう。我々には、その自由がある。あなたを縛ってるのは上の方の偉いさんじゃない、あなた自身なんです。その縛りをほどくために、僕は音楽に忠誠を誓ったんです。だからあと9回、よろしくお願いします。人生は祭りなんですよ。艱難辛苦を飲み込んで、絶望とともに笑って楽しむしかないのよ。それが最強の状態なのよ。そのことを伝えるために8年も赤坂通ったんだからさあ。首切られることですら、それを伝える一環になるのだから(笑)。

(2018年10月29日)

それから、冒頭の台詞に登場する穂村弘のCINRAのインタビューが面白く、この映画にも通ずるようなことを話していた。

www.cinra.net

本当は、生きのびるために優位で、かつ生の実感も得られる相手と一緒になるのが理想のはずだけど、みんなそれを無意識のうちに「どちらか」と分けて考えてしまう。これは仕事に関しても同じですよね。「やりたいこと」と「(食うための)仕事」をつい分けて考えてしまう。

f:id:Vanity73:20221016173626j:image私には好きな映画や音楽、本の話をする「同じ趣味」の友人というものがいなくて、感想は頭のなかでぐるぐる考えるか、たまにこうしてブログに書いたりするくらいで、映画の絹と麦のようなコミュニケーションを見ると少し羨ましくもあり、まだまだ私も青いと思ってしまうのだけど、職場に趣味の領域が近い人がいて、その人と雑談できると嬉しかったりする。その人が和田誠展に行ったという話から『怪盗ルビィ』が好きという話をしたり、武田百合子が好きという話をしたり、少しずつ共通項が見つかる過程が楽しく、人付き合いに消極的なのでこうして話ができる人と出会えるというのは何か特別な出来事のように感じる。

f:id:Vanity73:20221016173654j:image仕事の方は、2年目になるとまた少し様相が変わり、新しく覚えることもあれば、自分が仕切る(といっても大した規模ではなく)場面もちらほらと増え、やることも多くなってきたので「忙しい」と思うことが増えた。それでも毎日ぴったり定時で帰っているので、管理職の人たちと比べれば気楽な身だ。自分のキャパシティの狭さに辟易してしまい、自棄食いが増えている。体重はやはり昨年の37kg台には戻らず、この身で仕事を乗り切るには体重を乗せる必要があるのだ、と訳のわからない言い訳とともに、いままで忌避していた白米やパンも食べるようになった。本来好きなものを忌避する、というのはストレスである反面、やはり食べながら翌朝に乗る体重計のことを考えてもいて、これも一種の摂食障害に近いものなのだろうかと思ったりする。本来、楽しいはずの食事が、体重やカロリー、栄養素という数字に置き換わる貧しさ。わかっているのに逃れられない。この話も一体何度目だろう。

f:id:Vanity73:20221016173721j:imageいつも読んでいるブログに、牛丼やラーメン、中華料理屋でご飯を食べた、あるいはスーパーやコンビニでお惣菜ないしはお弁当とビールを買って帰った、のような何気ない記述があると、その行為や風景に異様な憧れを抱くことがある。カロリーを気にせず食べる、夕飯を外食や出来合いのもので済ませる、という行為になぜか抵抗があり、自分ではない人の生活に憧れる。

 

水平線

水平線

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滝口悠生『水平線』を読んだ。いつも通りのフラットな文章ながら、風景描写のひとつひとつに並々ならぬ気概を感じて、一章を読み終えるごとにひと息つきながら読んだ。今年の夏に、母と弟と伊東へ旅行に行き、宿泊した川奈ホテルの展望台から遠くに見える島を眺めた記憶があり、作中に登場する硫黄島や伊豆とは異なるのだけれど、シチュエーションとして自分の記憶と重なるものとして思い描いた。

f:id:Vanity73:20221016173741j:image横須賀美術館で開催中の「猪熊弦一郎展」で『顔80』がキービジュアルに使用されているのを見て『死んでいない者』を読み返したくなり、単行本を携えて横須賀へ行った。いのくまさんの、抽象画と包装紙やテキスタイルでは描かれているモチーフは似ているのに見え方が違って面白かった。そしてやはりかわいい猫たち。久しぶりの『死んでいない者』、いくつかの作品を経て読み返すとすでにエッセンスが凝縮されていて、いつまでも読んでいたい心地よさがあった。そういえば、『花束みたいな恋をした』にも滝口さんの『茄子の輝き』が出てきますね。

f:id:Vanity73:20221016173845j:image来年の手帳を選び始めると、そろそろ1年を畳む季節がきたなと思う。仕事用と日記用の2冊を毎年買っていて、だいたいいつもカバーで選ぶ。仕事用はMARK'Sのunpisさんのもの、日記用はnice thingsのトワイライトにした。七分袖と長袖を行き来する10月を過ぎると、イルミネーションがはじまって、街の空気が一気に年末へ向かうことを想像するだけでわくわくする。もうたくさん公開されているホテルやパティスリーのクリスマスケーキの写真を見るのも大好き、ファミリーレストランのおせち予約ののぼりも大好き。子どもの頃は、クリスマスになると届くトイザらスのおもちゃの冊子をずっと眺めていた。あれ、ポストに投函されていた記憶があるのだけど、大きくなると届かなくなって、どういう基準で届いていたのだろう。記憶違いで、お店から貰って帰っていたのか。いまもあるのだろうか。