ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

お迎えの季節

f:id:Vanity73:20180227000607j:image好きな人とごはんの予定が翌週に振り替わって、中止になった訳ではないので何も問題はないしちゃんとフォローもしてくれたのに、その日の楽しみがなくなってしまったというわがままな悲しみに暮れた夜の間に、春の気配を伴った激しい雨と風が冬の空気をさらっていった。3月1日は気温が20℃に迫り、日中はコートを着ずに過ごせるほどの陽気だった。数日前から鼻と喉のあたりがむずむずとして、くしゃみも出始めたのでいよいよだなと感じていたけれど、季節、特に春への変わり目というのは毎年新鮮に切なく詩人にならざるを得ない。もう、「そして名前呼び続けて はしゃぎあったあの日/I LOVE YOU あれは多分 永遠の前の日/明日、春が来たら 君に逢いに行こう」以上の春の詩はないと思うけれど。春は、春が来るなあと思っているときが本番でいちばんロマンチックだ。

f:id:Vanity73:20180301220742j:image思い返せば、去年の3月は旅行や免許合宿の合間に卒業式と慌ただしく過ごしていたおかげでフリーターになるのが不安なようなそうでもないような、あらゆることへの実感を鈍らせた心地でいた。そして4月、好きな人を見た瞬間に密かに高揚してときめいてときめいている間に1年が過ぎようとしている。そういえば1年前のあの日も夕方に突然はげしい雨が降ってきて、春の嵐がひんやりとした静けさを残した帰り道、キリンジの「エイリアンズ」を聴きながら歩いたのを覚えている。私の永遠の前の日、ってあの日のことじゃなかろうか。そのほんのすこし前、大学の4年間は真面目にこなして、自分の好きなものを心置きなく楽しんで、人間関係もそつがなくちょうど良くやってきて心乱されることもなくフラットな状態を手に入れることができて、誰に対してもそれぞれの良いところや面白いところを程よい距離で心の中で愛でていた。そのときは本当にそれができていた思う。その代わりに、もう恋愛をすることはないと半ば本気で思っていたけれどそんなことはなく、フラットな状態もいまやぐずぐずに崩れ去った。好きな人に対して執着心みたいなものも芽生えていることに気が付いて、よくないなあと思いながら自分を宥めすかしている。もともと人と関わることが好きと自覚しながらも、どうしても苦手で(それは例えば運動ができない、と同じ類のことだ)避けてきたけれど、新たな環境で手に入れた新たなコミュニケーションは楽しくて随分と助けられた。他愛のない会話でも、人と話すことはある種のセラピーのようなもので、はしゃぎすぎず喋りすぎず、かといって喋らなすぎず、程よく平和なおしゃべりができると気が紛れる。ひとりで思いつめがちな人間なので、たまには人に聞いてもらったり、人の話を聞いたりしたいと思いつつ、人を誘うという行為のハードルがいまだに天より高い。「カラオケ行かない?」とか言ってみたいですよ、本当に。

ポスター/スチール写真 A4 パターン2 スリー・ビルボード 光沢プリント

帰る頃には肌寒くなっているだろうと思いながら、飽きてきたコートを着ずに済むことが嬉しくてワンピースにストールだけで出かけた。冬の食べ物や洋服にちょうど飽きた頃に次の季節がやってきて、四季というのはどうにもよくできている。私のこれまでも、生き飽きた頃に新たな出会いがもたらされることが多くて、どうにもよくできている。浮かれていると頭を冷ませと言わんばかりに寒の戻りがやってくるだろう。1日といえば映画の日マーティン・マクドナー監督『スリー・ビルボード』を観た。捜査が進展しない娘の殺害事件に対して道路沿いの看板で警察を挑発する、というあらすじからはもっとわかりやすい構造のクライムサスペンスを想像していたのだけれどまったく違った。誰が正しいとか悪いとか、間違っているとか、更にいうと好きとか嫌いとか、すべてのことはきっぱりと分けることができない。事件の真相は宙に浮いたまま、ミルドレッド、ウィロビー、ディクソンの行動と奇妙な関係性で物語がドライブしていってとても面白かったな。ミルドレッド、めちゃめちゃ格好良かった。やることなすこと容赦なくて気持ちが良かった。乱暴な行為に意味を持たせすぎないというか、肯定でも否定でもない温度。その微妙なニュアンスは俳優の力量も大きいのだろうと思う。素晴らしかった。


カネコアヤノ「さよーならあなた」

阿佐ヶ谷へ移動してgionへ。インテリアがところどころキラキラしていて上品な華やかさが素敵だ。ひとりでブランコに座る勇気がなかったのでリベンジしたい。gionといえば松本壮史が監督したカネコアヤノ「さよーならあなた」のMVの舞台でもある。最近カネコアヤノをよく聴いている。詞の乗せ方が気持ちよくて、特に「マジックペンと君の名前」の「君の名前はいい名前 ねえねえねえ 呼んだだけ」とかずっと聴けちゃう。gionでワッフルを食べて、阿佐ヶ谷アルシェでほりぶん『荒川さんが来る、来た』を観劇。ナカゴー『ていで』と同じく開演前から女優たちが舞台でも各々の台詞を繰り返して、自己紹介や裏設定を話してからはじまるスタイル。文脈から離れた台詞そのものの面白さと、あらかじめ知っていることで生まれる笑い。ロジカルなのに、終盤の肉体を酷使した畳み掛けは理屈抜きに笑ってしまうし、「すごい」以外の語彙が消えてしまう。どうやって演出したらあんなシーンが生まれるんだ…。厄介な荒川さん(川上友里)の「お話がしたかっただけなの」という台詞、切なくてあの状況だからこそ響いてしまう。誰かの代わりになること、というテーマもいいな、と思いつつも猫背さんの暗転のシーンで思わず脱力するほど笑ってしまった。なんかもう、降参です、という面白さ。 f:id:Vanity73:20180303232611j:image春物を表に出しておこうと衣替えついでに、もう着ないものは処分しよう、と服の整理に取り掛かる。今年の冬に一度も袖を通さなかったコートを最後に羽織ってみると(それがいけないのだけれども)、久々だから新鮮に思えてまだ取っておこうとついクローゼットに戻してしまう。サイズが合わなくて着心地が良くないなと思っていたものも、暖かくなったら下を薄着にして着ればちょうど良いのではと気付いてまた戻す。数年前から太って入らなくなったワンピースも広げたら可愛いくて、痩せたら着れるし、とまた戻す。このシャツ、インナーにしたら可愛いじゃん、とまた戻す。まったく減らない。もう諦めた。しばらく忘れていた服を掘り返すと、出会い直しているみたいで楽しい。今度のお出かけでは買ったばかりの千鳥格子の靴下をおろす。この陽気ならばあのワンピース、とも思ったけれどまた寒くなって雨も降るらしい。どうしようかな。銀座の街に/革命が起こったら/どのブランドを着て/戦おうかな?