ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

世界は、

f:id:Vanity73:20190615202233j:plain一日じゅう雨が降った日。新宿で友人たちと集まってランチをした。中学から10年来の付き合いで、数ヶ月に1度集まっては近況を報告したり取り留めのない話をしている。好きな人との件を真っ先にLINEしたらみんな親身になって聞いてくれて、ふと他愛もない連絡をくれたりして本当に助けられた。くよくよしている私のかわりに怒ってくれたり、慰めてくれる存在の大きさよ。20代も半ばに差し掛かり、みなそれぞれに変化もあるけれど、こうして関係を続けられていることが本当に嬉しい。今日はあまり時間がないこともあって好きな人との話を切り出すことができなかったのだけど、このまま帰る気にはなれなくて、乗り換えの駅が同じ友人の1人に付き合ってもらって、喫茶店で話を聞いてもらう。この1ヶ月、ずっと自分の中で繰り返しぐるぐると考えてきたことを口にすることで、少しずつこの気持ちにカタをつけられそうな気がしてきた。客観的に見てもらって、自分がおかしいと思う部分は間違いじゃなかったのだと思えて、落ち着いた。ずっと自分で自分を否定し続けて、自分の妄想に自分で苦しんできたことを改めて自覚する。本当はこうなる前に友人たちに話を聞いてもらえば、鬱憤を好きな人にぶつけずに済んだのかもしれないけれど、ギリギリになるまで我慢してしまう自分のことも、いじらしいではないか、と思ってあげたい。自分で自分を殴って、その直後に抱きしめる、セルフDVが止められない。

私はとても閉鎖的な人間で、何かに夢中になるとひたすら内に閉じこもる傾向があるので、間違っているとわかっていても好きな人との関係も「世界でふたりきり」にしたくなってしまうし、好きな人を私の世界のすべてと思い込みたくてここまでやってきたのだけど、友人たちと話していると外に複数の世界を持たなければ健全でいられないのだと、改めて思う。私はずっと好きな人と世界でふたりきりになりたくて、だから好きな人が私の知らない人と知らない時間を持っていることが嫌なのだ。その不健全さを捨てることや自分自身の感情をコントロールすることができずに苦しみながら、大切にしなければいけない人を傷つけてしまった。生身の人間と向き合うことがこんなにも痛みをともなうなんて知らなかったし、そこから逃げ出したくなるけれど、誰かと関わりあうよろこびもそれと同じくらい手放しがたい。「寂しい」ってただそれだけがうまく処理できずにいろんなものをこじらせる。たぶん一生。私が死にたいって言ったら、一緒に死のうって言ってくれるような人を探しているけど、まあそんな人はいないので、どうにかして死ぬまで生きていきましょうね。