ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

季節

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この台風が去ったらきっと涼しくなる。そんな微かな期待とともにいくつかの台風を見送ってきたが、なかなか涼しくなりきらない。災害レベルとまで言われた真夏のピークと比べれば随分と過ごしやすくなったが、暑さにめっぽう弱い私は秋と冬を今か今かと待ち構える。職場が変わった6月からずっと暑さに滅入っていた気がする。あと少しできっとこの状況も好転する。そんな期待を抱えて揺れ続けるひとりずもうの毎日は相変わらず。仕事には流石に慣れてきて、適当になんとかやっている。入った当初にどうしてあんなに苦しかったのか、自分はいつも過剰に悲観的に物事を捉えすぎるし冷静に周りを見る能力が無さすぎるとも思うけれど、あのときの辛さや苦しさを自分で否定するのはやめようと思う。私が私を肯定しなければ、誰が私を受け入れてくれるというのか。

もともとは自己肯定感と自己愛を自分の中だけで完結させて平和にやっているような人間なのだけれど、一目惚れをして憧れていた人が自分を見てくれたことで、他者に承認されたいという欲求がふつふつ湧き上がってしまった。自分のことを見て欲しい、認めて欲しい、話を聞いて欲しい、わかって欲しい、愛して欲しいって、そう思ってしまうのは仕方がないとも思いつつ、それを他者にぶつけることは暴力に等しいのではないか。私はどこかで、恋人という存在とはそういうものを共有してもいいんじゃないかと思っていたけれど、本当はいちばん駄目な気がする。やっぱり自分の膿は自分で綺麗にするしかない。恋愛っていう、いちばんわかりやすい形で誰かに求められる、という体験は、私のような自意識も自己愛も過剰な人間にはとても危険で、あっという間に依存と執着に変わってしまう。好きな人のことは一年前と変わらずに大好きだけれど、そういう自分の欲求がそれを上回ってしまうことがあって、私はひとりでいらいらして不安になって、色んなことが怖くなる。それはLINEの返事が欲しいとか、そういうとても瑣末でつまらないことでも。少し前にきっと無意識でときおり会話に出す女の子の名前にいらいらして、そんなつまらないことでいらいらする自分にまた腹を立てる。それに気が付いたのか最近では意識して名前を出さないなと感じることもあって、別にその女の子が嫌いなわけでもないし何かあるんじゃないかと思っているわけでもなく、その無意識さの中に見える好意、恋愛感情とは離れたところにある(がしかし、割り切れない)好意が憎らしくて羨ましくてたまらない気持ちになる。それ、私も欲しい。

一年前からもうずっと、私の中でいちばん面白いコンテンツ(という言い方もどうかと思うけれど)が好きな人になってしまって、大好きなテレビも映画も演劇も相変わらず日々の糧ではあるけれど、あらゆる物語よりも面白いものになってしまって、本当に寝ても覚めても(映画観に行きたい)好きな人のことばかりで、病気だ。そんなときにはいつも、ラジオなんかで菊地成孔の言う「恋をしている人は全員頭がおかしい状態」「狂っていなければ恋愛なんてできない」という旨の言葉を思い出して、自分を正当化してしまっている。菊地さんの音楽とラジオを聞いているときがいちばん心が落ち着いていて、なおかつSPANK HAPPYには胸がときめいて、なんだかんだでいちばんヘルシーなところに到達している気がする。

今年の夏はSPANK HAPPYのライブを一度も見れなかったことが心残りで、涼しくなったらドレスアップして踊りに行きたいので、次はもう少し広いところでワンマンライブをやって欲しい。5月のGREAT HOLIDAY以降ライブは見れていないものの、インタビューやInstagramが充実して供給されるのでとてもありがたい。ラジオでも音源を聞くことのできた新曲群はどれもよくて、中でも「エイリアンセックスフレンド」が好きだ。

 

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