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私事で恐縮です。

記憶の選別

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3年前から手書きの日記を付けている。ラーメンズ小林賢太郎の演劇公演『振り子とチーズケーキ』の内容にちなんだグッズの日記帳が可愛くて欲しくなり、買ったからには使おうと書き始めたのがきっかけだった。その分厚い日記帳を2年使った後は、羽海野チカ3月のライオン』の付録、今年はヒグチユウコ『ギュスターブくん』の付録を愛用している。

日記にはその日にしたこと、見たもの、食べたものなどや簡単な感想を淡々と記録して、考えごとなどのエモーショナルなことは極力書かないようにしてみると、これまで三日坊主に終わってきた日記が続けられることに気がついた。そのうちに、記憶しておきたいことを日記に託すようになった。覚えておきたいことだけを記録し、覚えておきたくないことは意識的に書かないでいると、自然と忘れられるようになったのだ。それでも自分自身の脳みそを騙すことは難しく、たまに地獄の釜が開いてしまうこともあるが、毎日のように自分の失態やヘマ、コミュニケーションの失敗に苛まれていた頃に比べるとずっとましになったように感じる。覚えておきたいことほど忘れて、忘れたいことばかり覚えている出来損ないの脳みそを補完する、外付けHDDのようなものだろうか。

どんなに些細なことでも、一度囚われてしまうと延々と記憶や胸のうちでジクジクと醜く熟れてしまう。それを言葉や文章として吐き出して解放する、というメソッドの方が効くこともある。私の場合は嫌なことがあると頭の中でiPhoneないしはパソコンのキーボードを叩き、架空のブログにそのときの思考と罵詈雑言を打ち込む、というイメージを繰り返して気付けばすっきりとしていることが多い。イメージだけで完結し、形に「残さない」ということが私には向いているようだ。日記やブログに書きたくなることもあるのだが、書いてしまうと「書いた」ということも含めてより強固に記憶されてしまうような気がする。

私は思い出に浸るのが大好きな人間なので、暇があると自分の手帳、日記、ブログを読み返している。やはり忘れていることも多く、自分の日記が一番面白い読み物のように感じられることもある。そういうときは決まって心身が疲れているときなのだけれども。

突然思い立ってこんなことを書いたのも、今日は少しずつ嫌なこと自分に腹が立つことがあって漠然と死にたい気持ちに支配されたからだった。詳しく書いたら読み返すたびに思い出すことになる。つまらないことは、選別してなかったことにしてしまえばいい。