ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

セルフカウンセリング

f:id:Vanity73:20190322185545j:plain2年前の4月、私は就職が決まらないまま大学を卒業してフルタイムのアルバイトを始めた。そこで出会った人に一目惚れをして、そこからは気が付けば好きな人のことを考える毎日が始まった。年齢も、住んでいる場所も、独身かどうかもわからないまま、あこがれを募らせ続けて、見てるだけで、好きなだけで満足という片想いだった。いま思うと、将来への不安から逃避していたのかもしれない。そのアルバイト先はとても居心地がよくて、自分にとても合っていたのだと思う。友だちもできて、いろんな不安から目を背けるにはうってつけの場所だったのだ。

勤めはじめて半年が経つ頃には、好きな人と随分と雑談もするようになって毎日楽しくて仕方がなかった。そのうちにあこがれから、好きな人のことをもっと知りたい、自分のことを知ってほしい、と徐々に具体的な関係性になりたいと望むようになっていった。向こうにも私の好意は完全に伝わっていて、年末頃から映画やご飯に誘ってくれるようになった。私は舞い上がりながらも、期待して傷つかないように予防線を張って、なんとか平静を保つ日々だった。週に3回は職場で顔を合わせて、2週間に1度くらいのペースでデートをする。やきもきしたり、不安になったりもしたけれど、それも含めて「恋」と呼ぶ他ない日々。なにより、胸を焦がした相手が私のことを見てくれた、というよろこびは計り知れないもので、それは同時にとても危険なものでもある。

f:id:Vanity73:20190214164918j:plainアルバイトを始めて1年が経った頃、好きな人から転職を勧められることが度々あった。それに深い意味はなくて、まだ若いのにフリーターであることを心配してのことだった。好きな人もその年で契約が終わって職場を去ることが決まっていた。この居心地の良い場所で、好きな人たちに囲まれて過ごす日々が終わってしまうことも、私のセンチメンタルを加速させていた。私も契約が更新できる限り辞めることは考えていなかったのだけれど、昨年の4月、好きな人が住む町の求人が出て、私はそこを受けることにした。正規職ではないけれど今よりも待遇はよくて、経験も積める。それに何より、本当に好きな人との関係が続くのか不安で仕方なかった私は、好きな人が住む町に勤めるということに賭けた。この求人を送ってくれたのは好きな人だったし、履歴書や面接もずいぶんと協力してもらった。他にも事情が重なって、お互い実家住まいだから、このあたりで部屋を探してもいいね、なんて話をした。一緒に暮らそう、とはっきり言われたわけではなかったから、そのときも私は予防線を張って、遠慮がちにその話を聞いていたけれど、内心は期待で胸がいっぱいだった。それに何より、好きな人がそう思ってくれていることや言ってくれることは、一緒にいようと望んでくれたなによりの証左だった。同じ職場でなくなったことをきっかけのように、苗字から下の名前で呼んでくれるようになったときのよろこびを今も忘れていない。

私は採用されて転職を決めた。これは完全に愚行としか言いようのないことなのだけれど、少しでも有利になるようにと、転居の予定がありますと書いて応募した。どうにでもなれ、という気持ちで書いたことが自分自身を苦しめて、なんだか犯罪者にでもなった気分だった。子どもみたいで馬鹿なことだなあと思う。結果的に大目に見てもらえることになって今は大丈夫なのだけれど、なんというか自分の愚かさや幼さがとても恥ずかしい。この焦りは私を苛々させて、好きな人との部屋探しにも影響してしまったと思う。このことで、私は必ず引っ越したい、という気持ちになってしまって、本来の期待や望みはいつしか執着に変わってしまった。思い返せば、ふたり揃ってここにしようと迷いなく言える部屋には出会えなかったし、現実的に難しいことも山ほどあった。お互いに顔色を伺うような空気もあって、あのとき遠慮せずに素直に話していれば、なんて思うこともある。私は私を赦せていない。

f:id:Vanity73:20190209150231j:plain転職した職場は、最初に仕事内容や雰囲気が肌に合わないと感じたまま、うまく馴染めずにいる。おそらく、馴染みたくないと思っているのだ。母親と同世代の女性が多く、若い私は子どものように大目に見てもらっていることが沢山あって、それは感謝すべきことなのだけれど、なんともいたたまれずにたまらない気持ちになる。嫌な人がいるわけでも、残業があるわけでも、特別忙しいわけでもない。充分すぎるほどに休みもあって、怒られるわけでもない。何が不満なのかと自分でも思う。でも、どうにも苦しいのだ。私は言われたことをこなしていくことが得意だと思っていたのにそれも満足にできなくて、自分で考えて提案しなければいけないのはかなり苦しい。そして何より、この仕事にまるで興味がないことに気がついてしまった。

もう辞めよう、と何度も思うのに踏ん切りがつかずにずるずると来年度の契約を更新してしまった。転職しようと求人を見ても条件や給料を考えると離れがたくもあるのが事実だ。世間的に見れば薄給だし探せばもっといいところはある。若いうちに他の職種に移らなければ転職はどんどん難しくなる。それに何より、これは本当は切り離して考えるべきなのは頭ではわかっているのだけれど、ここは好きな人との接点なのだ。どうしてもその考えが捨てられない。一緒に暮らすのはあと1年待って欲しい、と言われて、今はそれを信じたり信じなかったりしながらしがみついている。いざ暮らせるとなったときに、私に仕事がなかったらと思うと離れられない。これはもう、妄執と意地だ。私を苦しめているのは私自身であることは十分すぎるほどに理解している。

f:id:Vanity73:20181228181905j:plain仕事が思うようにいかないこと、引越しに関しても煮え切らないことで私はあまり見せないようにしていた不安定さや醜さを好きな人に露呈することになってしまった。最初は根気強く付き合ってくれていたけれども、近頃は本当にうんざりさせてしまっている。きっともう、前みたいに私のことが好きではないと思うのだけど、いまのところはまだ一緒にいてくれるみたいだ。1週間に一度のペースで会ってくれていたけれど、4月からはそれも難しくなるだろうと思うと憂鬱で仕方がない。私も有り余るほどの愛おしさが裏返ってしまって、前はこうしてくれたのに、こういってくれたのに、どうして?と恨めしい気持ちになることが増えた。もう好きじゃない、もう好きな人がいなくても大丈夫、と思うのに、会えばたまらなく好きだと思うし連絡がくると飛び上がるほど嬉しい。強烈なあこがれと、獲得のよろこびと、喪失のおそれは私の執着心と依存心を強固なものにしてしまった。この苦しみから抜け出す方法は、この執着と依存を捨てることだというのは痛いほどわかっている。わかっているのに、どうしてもできずにいるから苦しくてたまらないのだ。きっと自然にすべてのことが運ぶ日がくる。

どうしてそんなにこの人が好きなのか、もはやわからない。恋なんてのは錯覚と思い込みで、好きな人はそういう意味で私に恋はしていない。現実的な要素としてのパートナーを考えているけれど、果たして私はそれにふさわしいのか?と好きな人の中で疑問が生じているのを感じる。私には努力するべきことが山ほどあるのに、心のどこかでありのままを愛してほしいと夢を見ながら、自分を甘やかしてなんとか毎日をやり過ごしている。自分の愚かさ、醜さ、狡さ、怠慢を認めながら、それを自分で赦して完結してしまう。きっと人と深く関わることを望まなければそういう生き方もできるのだろうけど、私はどういうわけかこの人と深く関わることを望んでしまったし、どういうわけか深く関わることができている。向こうから離されない限り、私はその手を離してはいけない。必ず後悔する。

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