ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

彼方の雨雲

f:id:Vanity73:20170917182258j:image台風が近付いているのか去っていくのか9月の雨は、ひんやりとした空気と微かな湿気を伴って夏を遠くへ連れていった。1月生まれだからか、汗かきだからか、私はめっぽう冬が好きなので涼しくなればなるほど嬉しくなるのだ。冷たい空気の中にいると背筋が伸びる。今年は真っ赤なニットのスカートに真っ白なフェルトのベレー帽を合わせたい。コートの季節が来るまでは、大判のストールを主役にする計画も立てている。ラインの美しいチェックのスカートも手に入れて、準備は万端だ。

この空の花 -長岡花火物語 (DVD通常版)

9月14日、新文芸坐大林宣彦特集にて『この空の花 長岡花火物語』を鑑賞。セミドキュメンタリーや劇中劇を織り交ぜながら、画面はよりフィクショナルで夢想的な映像で彩られている。しかし不思議なことに、戯画的であればあるほど史実が現実味を持って迫って来るのだ。この世のものではない少女たちは一輪車で自在に滑走し、いとも簡単に、ときに強引に過去と現在を繋いでしまう。戦争を知らない私たちが史実を知り想像するために最も有効なものは物語であると改めて思わされた。そして誰よりも想像力を信じ、底抜けの奇想で映画を作り上げる大林宣彦という存在の大きさもまた然り。常識や定石に縛られないどころか、それらを果敢にぶっ壊していく映像演出の数々を見ているとなんだか勇気が湧いてくる。しかし、めちゃくちゃやっているようでいて散漫にならないのは、大林監督の信念が貫かれているからだろうな。そして気持ちが良いほどに狂っている。

f:id:Vanity73:20170915212444j:imageシアターコクーンにて『百鬼オペラ「羅生門」』を観劇。アブシャロム・ポラック&インバル・ピント初体験なのでとてもわくわくして臨み、期待以上のものを浴びせられたような気分だ。言葉の追いつかない世界。真っ赤なワンピースを着た真砂(満島ひかり)が蜘蛛の糸を垂らしながら蓮の葉とともに降りてきたあの瞬間、息をするのを忘れるくらい美しかった。紛れもなく神様だと思った。オペラというだけあって音楽の担う割合も多く、ミュージシャンもしっかりと舞台の世界に溶け込んでいるのもよかった。ceroのサポートでもお馴染みの角銅真実さんがめちゃくちゃ舞台映えしてて格好良かったな。

Drape Me in Velvet

Drape Me in Velvet

  • Musette
  • ポップ
  • ¥1350

文芸坐で流れていたのをshazamで検索して、AppleMusicでダウンロードするというあまりにも現代的な方法でMusetteを聴いて眠った。大林宣彦、百鬼オペラと奇妙を巡る1日の終わりに相応しい夢見心地だ。大変今更ながらAppleMusicを導入して、あまりにも色々な音楽が聴けてしまうことに周回遅れで困惑し興奮している。今まで興味はあったけれど聴くに至らなかったジャンルとか、好きなバンドのルーツなんかを掘り下げるにはもってこいだ。それにしてもNetflix然りAppleMusic然り、ワンクリックで大量の作品にアクセスできると時間がいくらあっても足りないな。その上、テレビだって面白いものが放送されていて、新しい映画も公開されて、毎日あちこちで演劇やライブもやっていて、本だって出ていて、目が回る。この世には面白いものがありすぎる。

「ベイビー・ドライバー」オリジナル・サウンドトラック

9月18日、新宿バルト9にてエドガー・ライト監督『ベイビー・ドライバー』を鑑賞。音楽!ダンス!カーチェイス!ガンアクション!ラブ!が全部フルスロットルで最高。アルコ&ピースにラジオでオマージュして欲しい映画だった。もちろんベイビーとデボラが大好きなんだけれども、終盤のバディがちょっと困っちゃうくらい格好良かった。

f:id:Vanity73:20170918184553j:imageらんぶるでドライカレーを食べる。広々とした地下の席とシャンデリアが見渡せる階段上の席がとても良い。店員さんにシュッとしたモデルみたいな男の子が数人いて、都内の大きな喫茶店は古いところでも活気がある。コーヒーを飲みながら長嶋有の『いろんな気持ちが本当の気持ち』を読んでいたら、「片思ってしまう」というエッセイが心にぶっ刺さった。思いを寄せる人と共通の趣味を持っていることに喜ぶ、という話からこう述べる。

あたかも「両思い」に向けて、わずかでもアドバンテージを得たかに思われる。だけど本当は逆で、そのこと(自分と好きな人だけが共有するなにかがある、と知ること)は、心の中の片思いの濃度をさらに強めてしまう。それは心地のいい陶酔だ。心地よさを大事にするあまり、恋を現実にするための手練手管をうてなくなってしまうのではないか。臆病さとは別の能動的な「欲求」として片思いはじめる。

わかりすぎてしまう。まったくもってその通りの現象が私の身にも起こっている。

f:id:Vanity73:20170918192532j:imageザ・スズナリにてロロ『BGM』を観劇。何を隠そうこの日のテーマは「車」と「音楽」である。内容は関係ないけれど、ごきげん気分で映画と演劇のハシゴに大成功。見ている間も見終えた後もとにかく胸がいっぱいで、ロロが大好きだなあと思った。キャラクターもモチーフもエピソードもひとつ残らず愛おしくって、この世界がもし映画や漫画でも表現されていたら何度も何度も繰り返し観ると思う。でも演劇は上演されている間、その時間しか観ることができなくて、次第に私たちのなかの記憶になっていく。超人でもなければ丸々覚えておくなんてことはできないから、それは印象的な台詞だったりシーンだったり、曲だったりダンスだったり、もっと断片的な、ミラーボールの光だったり、役者の表情だったりが記憶される。観た人すべての中にそれぞれの『BGM』が蓄積されていて、ずっと光り続けるだろうな、と思った。それは記憶を辿る旅のようなものでもある。

f:id:Vanity73:20170924151318j:image9月21日、Kanzan Galleryにて飯岡幸子展「永い風景」を観賞。夜の道路の写真に心を惹かれて見に行った。直感的に好きな写真だ。留めておきたいけれどするりと記憶の隙間から溢れてしまうような、はっきりとした形で記憶しておくのが難しい何気ない風景が切り取られていると感動してしまう。知らない場所のはずなのに、間違いなく私はこの風景を知っている。

f:id:Vanity73:20170924151326j:image

KanzanGalleryでポストカードを見て気になったアートラボアキバでの諸星春那  個展「DEAF HOOD+ そう遠くはない未来~in the near future~」にも立ち寄る。概要も何も知らずにふらりと入ると、コンクリートの壁に子どもや花の写った写真や抽象画のようなものが投射されている。ガシャン、ガシャンとアナログな音を立てて回転するスライドプロジェクターをぼうっと眺めていると、諸星さんが筆談で話しかけてくれた。ループする過去・現在・未来をコンセプトにしていることや、ポストカードにもなっている写真は諸星さんが2歳の頃のものであること、ろう学校や手話のことなどを教えてもらう。パステルなどで色をつけて自分でフィルムを作ることができて、その来場者が作ったもの=未来と捉えて一緒にスライドで投影してテーマを表現していた。ので、私も作って投影してもらって一緒に見た。ポストカードの色味に惹かれたのと、ちょうど通り道に会場があったので立ち寄ってみたら思いがけず面白い出会いがあってなんだかとても嬉しい気分だ。

f:id:Vanity73:20170924184211j:image

淡路町の珈琲ショパンでホットサンドとカフェオレ。思いの外時間がなくてあまりのんびりできなかったのだけれど、薄暗くて静かな店内がとても心地よい。初台まで移動して、新国立劇場小劇場にてケラリーノ・サンドロヴィッチ演出『ワーニャ伯父さん』を観劇。先に戯曲を読んでおこうと思いつつ途中で頓挫したまま観劇したのだけど、ここ笑うところだったのか!と観てはじめてわかるシーンが多かった。ケラさんのウィットに富んだ演出も効いていたのだろう。2幕でトーンが加速して、再び下降していく物悲しさがいつまでも胸でくすぶる。舞台ではじめて拝見した段田安則、ワーニャ伯父さんの偏屈な台詞を淀みなくつらつらと発話していてあまりの滑舌の良さに魅了された。巧い、と感じさせる隙もないほどに巧い…。あと、アーストロフ(横田栄司)に恋をするソーニャ(黒木華)の姿がまんま私で胸が痛くなった。会話を交わして握手をしただけで「どうしてこんなに胸が弾むのかしら!」と飛び上がったり、たまらず家中の人に自分の気持ちを言って回ったり、舞い上がる一方で冷静に自分の容姿を省みて落胆する姿が痛々しくて可愛らしくてたまらない。わかる、わかるよソーニャ。

f:id:Vanity73:20170924185014j:image先日、目下片想い中の好きな人とお休みの日に会うという大イベントが発生して、その日は1日夢心地の楽しさだった。もちろん2人きりではなくて、とても信頼かつ尊敬している人たちと一緒に過ごせたのもとても嬉しかった。この9月は、数ヶ月前には想像もしなかったことが起こっていて恐ろしくなるくらい楽しい。4月の日記に「一生親しくなれる気がしない」と書いていた人と、ひよっこの話をしたりできるようになるなんて、夢のようだ。年齢も性別も分け隔てなく接してくれる人々とともにいる今が、どれだけ幸せなのか考えても考えても追いつかないくらい。だから、あまり下手なこともできないな、と思います。


愛して愛して愛しちゃったのよ (cover) / 柴田聡子

ひよっこ』に出てくる「愛して愛して愛しちゃったのよ」が聞きたくて検索していたら柴田聡子がカバーしているライブ映像が出てきた。とても良い。オリジナル(和田弘とマヒナスターズ&田代美代子)も好きだけれど、柴田さんが歌うとなんだかグッと私たちのうたという感じがする。そう、愛しちゃったのよ。

恋のうた

恋のうた

劇中でよく流れる♪だって君が好き〜という曲、てっきり歌謡曲かと思っていたらオリジナルの「恋のうた」という曲で歌っているのは太田裕美なんですね。好きすぎて、今の気分にぴったりすぎて、iTunesで購入して繰り返し聴いています。自分の言葉で好きと繰り返すと気持ち悪くなってしまうのに、こんな風に素敵な音楽に託されると途端にハッピーになる。歌詞を書き起こしてみるとちょっと狂気じみちゃうけれど。すき。

すきすきすきすき

すきすてきすき

すきすきときめく 甘い恋のうた

この気持ちがいつまでも続かないことも、憧れにしておくはずだったこの恋が実る可能性が限りなくゼロに近いことも知っている。あと何年か経てば、どうしてこんなに胸を焦がしていたのかもわからなくなるだろうし、好きな人の顔や声の記憶も霞のように薄れてしまうだろう。それでもこの人が好きだった、ということはきっと覚えていると思う。こんなに身近な誰かを好きになったこといままでなかったし、それを友だちに延々と聞いてもらって言葉を貰うのもはじめてのことだし、どうしようもなく楽しい。はたからみれば普通の会話が、私にとってはすべて宝物のような記憶で、なんて幸せだろうと思う。どうしてこんなに切ないのだろうと考えると、この楽しい日々が必ず終わることがわかっているからだ。この日々が続いて欲しい、このまま時間が止まって欲しいという望みは、私の恋心が成就するよりずっと無理なお願いだから。季節はいやおうなしに過ぎるから、少しずつ覚悟を固める。恋の季節を見送る覚悟。 

映画『散歩する侵略者』オリジナル・サウンドトラック

9月28日、池袋シネリーブルにて黒沢清監督『散歩する侵略者』を鑑賞。人の顔を覆う不自然なまでに深い陰を見ると、ああ黒沢清の映画だなあと思う。宇宙人の立花あきら(恒松祐里)が血まみれで道を歩く後ろでトラックが横転するタイトルバックめちゃくちゃ格好良かったなあ。トーンがシリアスだからつい身構えてしまうけれど、宇宙人の佇まいをはじめとして全体的にすっとぼけている空気が面白かった。 

f:id:Vanity73:20170928213913j:image

シアターイーストにて贅沢貧乏『フィクション・シティー』を観劇。贅沢貧乏は前々から気になっていて、チラシやHP、アフタートーク高橋源一郎、岸政彦というセンスを信じて初挑戦。冒頭、階段状のセットをひとつのペットボトルが転がり乾いた音を響かせた瞬間に惹き込まれた。それぞれのシーンの要素が地層のように堆積していき、混沌とした景色が生み出されていく。物語から弾き出された役名を持たない男が「この物語から離脱します!」と声をあげると、非常誘導灯、客電が点灯し、会場を飛び出す。ステージにシアターイーストから池袋の街へ出る景色が投影されるラストシーンがとても印象深い。「フィクションとは私たちにとって何か」という永遠の命題をめぐる作品は、まだプロットのような印象が拭えなかったけれど、このテーマに関してはこれが正解なのだと思う。

f:id:Vanity73:20170929214923j:image

久々に友人とLINEでやりとりをしていて、何ターン目かで別の友人と思い込んでいたことに気付く。2人とも一緒に集まる共通の友人ではあるのだけれど、アイコンも名前もまったく似ていない。会話には何も支障がなかったけれど、疲れているんだなあと思った。今日はアラームが全く聞こえなくて寝坊した。月末はいつも決まって調子が悪いので少し気を付けながら耐える。耐える、というほど辛いわけでもないけれど、身体を強張らせながら波に揺られるような感覚がある。

連続テレビ小説 ひよっこ 完全版 ブルーレイ BOX2 [Blu-ray]

9月30日、『ひよっこ』が最終回を迎えた。奥茨城から乙女寮、すずふり亭と舞台が移り変わるにつれて、このドラマはお喋りがテーマなのだなあと思わされた。家族のこと、友だちのこと、仕事のこと、恋のこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、悩み事etc...すべてがお喋りや手紙によって共有されて、離れた場所にいる人と人を繋いでいく。相手のことを知ること、自分のことを話すこと、というコミュニケーションの原始的な部分がとても丁寧に、チャーミングに描かれていて、見ていると誰かとお喋りをしたくなったし、私も彼女たちとお喋りをしているような気分になれてとても楽しかった。人と関わることは素敵なことなのだと、そっと肩を叩いてくれるような優しさ。『あまちゃん』と同じく、主人公が大成する朝ドラの定石からは逸脱したもので、キャラクターたちが今もどこかで生きているという感触の大きいドラマだった。最終週になってふと、「2017年には何歳かあ」という会話が登場してはっとした。『ひよっこ』は終わらないのだ。