ニュースクラップタウン

私事で恐縮です。

遁走

f:id:Vanity73:20220821114319j:image7月中旬、半休でお昼に退勤し、葉山まで車を走らせ、神奈川県立近代美術館でアレック・ソス「Gathered Leaves」を見た。車で旅をしながら撮影する様子を追ったドキュメンタリー映画『Somewhere to Disappear』は、恣意的な音楽にやや違和感を感じたものの、アレック・ソスの語る「車に運ばれる」という感覚や「逃避願望」、アウトサイダーたちの様子はかなり見ごたえがあった。いちばん最後に登場した砂漠で暮らす男性の、自然と共にあるというスピリチュアリティは圧倒的だった。被写体の人物や風景そのままでありつつ、写真を撮ることで生じる作為に自覚的で、奥行きを感じる作品ばかりだった。

f:id:Vanity73:20220821114416j:image平日でも人が多い印象のある逗子の海岸や鎌倉の街は、小雨のせいかいつもより人が少なく快適だった。鎌倉駅の目の前にあるホテルニューカマクラへ宿泊する。駐車場内にある小屋でチェックインをすると、掃除のおばちゃん、といった風情の従業員さんが部屋を案内してくれる。エントランス入ってすぐのシャンデリアや赤い絨毯の階段、清潔に保たれつつも経年を感じさせる木の風合い、すべてが完璧。小雨の降る鎌倉の街へ繰り出し、豊島屋で鳩サブレと鳩サブレを模したミラーを買い、ミルクホールで夕食をとる王道コース。19時過ぎに入店したモアは貸し切り状態で、窓際の席で小町通りを眺めながらもものパフェを食べた。

f:id:Vanity73:20220821114459j:image部屋に戻り、テレビもWi-Fiもない部屋でぼんやりと駅を眺めてすごす。旅ではいつものことなのだが、ホテルで上手に眠れたことがなく、この日も一瞬の眠りと半覚醒を繰り返し、3時過ぎに起きだして昨日買った小川軒のレーズンウィッチやRegalez-Vousのマカロンケーキを貪り、徐々に雨が強くなるなか、目覚める前の街をふらふらと散歩した。チェックイン時にお金を払っているので、チェックアウト時は玄関にぽんと鍵を置いて出ていく。

f:id:Vanity73:20220821114526j:image横須賀の久里浜港から、車で東京湾フェリーに乗り込み、千葉県の金谷港まで約40分の船旅。雨でデッキには出れず、見晴らしもよくないが、めったにのらないフェリーににわかにテンションがあがる。金谷港からすぐ近くの鋸山ロープウェイへ。フェリー、ロープウェイと晴れていればさぞ楽しかろうという観光コースだが、どんよりとした曇り雨、朝早くで人も少なく、昨晩の寝不足もたたってぼんやりとしたまま煙った景色を眺める。ロープウェイ内で淡々と観光案内を読み上げる女性スタッフと私ふたりきりの空の旅。旅はいつも、計画をしているときがピークで、実際にその場にいるときはあまり楽しくないので、私は旅に向いていないと思う。

f:id:Vanity73:20220821114542j:image山道を横断して鴨川へ。にわかにリゾート感のある街道にあらわれる、海の見えるレストラン(というより食堂という言葉が似あう風情だが)真珠の庭で昼食をとる。コロナ禍になってからというもの、マスクや消毒などの対策だけでなく、飲食店の清潔感にもかなりナイーブになって、昔なら楽しめていた古さが年々厳しくなっていく。しかし、マグロのステーキは美味しかった。途中、立ち寄ったアンティークショップのいすみブランで、姿見を購入する。ずっと欲しいな、とは思っていたのだが、一目見て気に入るものがあり、ほぼ衝動的に買ってしまった。軽自動車の助手席を倒してもらい、姿見を携えてのドライブ。私は何をしているんだろう、と思いながら、次の目的地であるつくばへ車を走らせた。寝不足と空腹で頭が働かず、ひたすら16号線を走る。本当に車で入っていっていいのだろうか?というような山道の中腹にある、古民家をリノベーションした民宿の旧小林邸へ。意識していたわけではないものの、前日のニューカマクラと同様に、風呂・トイレは共用、テレビのない宿で、強制的に静かな時間を過ごす。部屋の窓からはつくばの街が見下ろせてとても良い場所だった。

f:id:Vanity73:20220821114616j:imageさすがに疲れていたのでぐっすりと眠る。標高が高く、街の灯りが見えていたと思えばあっという間に雲で覆われていたりと、現実感のない景色が忘れがたい。宿からすぐのガマランドへ立ち寄る。レストハウスのお土産屋さんは開いていたが、ガマランドの方は開いておらず、朝早いからなのか、本当に閉業してしまったのか。2年ほど前に訪れたときは1階のお土産屋さんは開いていて、おばあさん2人店番をしていた。店内ではブラウン管の分厚いテレビで地デジ放送が流れていて、異空間だった。

f:id:Vanity73:20220821114641j:image下山をしてつくばの町中を走り、本来であればここから埼玉の実家に帰省する予定だったのが、弟が無症状の陽性になり隔離生活中とのことで取りやめとなる。ただ、自宅までの通り道ではあるので、鳩サブレとがままんじゅうをお土産に、玄関先で陰性だった母と少し立ち話をした。最後に帰ったのが5月の連休だったのでやや久しぶりで、この2日間の孤独なドライブから家族の顔を見て話したので安堵感があった。首都高に乗って自宅に帰り、自分の背丈よりやや大きい姿見を車から引きずり出してなんとか部屋に設置する。とても可愛くて、買ってよかったと思った。

f:id:Vanity73:20220821114714j:image以前は旅に対する興味が薄かったのだが、車を運転するようになってから、旅への欲求が芽生えるようになった。生活の中心といっても差支えのなかった演劇やライブに気軽に行けなくなり、公共交通機関にも抵抗があると、誰にも接触せずに移動でき、好きな音楽やラジオを流しながら様々な景色を見ることのできる車が、シェルターのように感じられる。大きな不足や不満のない生活のなかで、常に心のどこかにここではないところへ行きたいという逃避願望があり、それが数か月に一回こういった形で爆発する。

f:id:Vanity73:20220821114739j:image空腹や疲労という自分の状態を無視してしまう傾向があり、旅をしている間は特にそれが顕著で精神状態があまりよろしくなく、私は旅に向いていないと思う。ここへ行こう、と計画しているときと、あとから写真などを見返してこんなことがあった、と思い返している状態がいちばん楽しく、実際の時間はおまけのように感じる。旅に限らず、食に関しても、食べる前のあれが食べたいという欲求と、美味しかったという記憶が本質で、実際に食べている間の幸福感はそこまで大きくない。大げさだが、人生のすべては予感と追憶なのではないかとすら思う。